司馬遼太郎の世界

KokusaiTourist2005-04-29


 5年ほど前から“司馬遼太郎http://www.shibazaidan.or.jp/にはまってる。手術で2ヶ月ほど休んだ時に弾みがついた。文庫本を片っ端から読んだ。「世に棲む日日」「龍馬がゆく」http://ww5.enjoy.ne.jp/~jumpei/翔ぶが如く」「坂の上の雲http://www.nhk.or.jp/matsuyama/sakanoue/と続いたところで気がついた。何のことはない。幕末・明治維新から日露戦争までを時代順に読んでいたわけだ。偶然でありまた小説の世界とはいえ、この時代のあらましと現代へのつながりを系統的に勉強したことになった。かつての学校の先生には悪いけど嫌いな?日本史が司馬さんのお陰で好きになってしまった。その後、「菜の花の沖」「夏草の賦」「太閤記」「関ヶ原」と時代を逆のぼった。さらに「幕末」「最後の将軍」「胡蝶の夢」などなど。「この国のかたち」「講演集」などはそれぞれ3回も読みふけった。http://fujiwaraason.hp.infoseek.co.jp/exproller/edo.htm
 ホンモノの司馬遼太郎ファンからみれば未だ“ひよっこ”だけど、自分一人で司馬遼太郎の世界に浸り悦に入ってる。彼は、軍隊に一時的にもいた経験から無謀な戦争を拡大した日本のあり方に疑問を持った22歳の自分への手紙を書いてきたのが、私の小説でしたと、文化功労者受賞の記者会見で述べたといわれる。今また、戦前への回帰をもくろむきな臭い動きや、社会や人間のあり方を根底から覆すような事件・事故の続発に司馬さんが生きていたらどんな発言をされるかなどと勝手に想像したりしている。
 最近、「街道をゆく」のグラビア版http://www.kaidou.net/が刊行され毎週楽しみにしている。ところが、悔やむことがある。仕事柄、これまでの「街道」を知らなかったわけではない。ただ、我々の「観光的知識」はバスガイドから何度も聞いて暗記するほどのものであっても、その時訪問した地域の歴史などであって、他へ行けばまたその地域のエピソードである。どういえばいいのか、どの時代であれその地域を越えた全体の関連やそのことが現在とどう関連するのかなんてことは関心も無く知ろうとはしなかった。もし、もっと若くして司馬遼太郎に近づいておれば、この仕事はもっと奥行きの深い仕事として楽しめたのではないか、と今になって思う。
 いや、まだ遅くない。折角の旅を創る仕事に携わっているのだ。新しい企画として「司馬遼太郎の世界」なんてのをやってみたいなとも思う。司馬ファンも沢山いるでしょう。例えばそんなファン自身がガイド役になって「街道をゆく」などの舞台を追っかけていく。
 日帰り圏内にこんなに「司馬遼太郎の世界」があるのかと、実は「グラビア」誌を読み始めてから驚いている。湖西・近江路、高野山、越前、大徳寺散歩、嵯峨散歩、少し足を延ばせば、大河ドラマの舞台、三浦半島会津若松、長州路、土佐檮原街道など、いずれも地名を聞くだけで司馬さんの描写が甦ってくる。関心のある方ご意見下さい。(T.MATSUOKA)