復旧を急げという「利用者の声」に関連して

KokusaiTourist2005-05-05

 早期復旧をのぞむ声があるからとJRは言う。当たり前である。だからといって、設置してさえおれば今回の事故が未然に防げたかもしれないATSの設置日程とは無関係に「復旧」させるというのは、相変わらずの儲け主義を利用者の声で覆い隠しているだけである。
 私はJR宝塚駅で阪急に乗り換え通勤している。確かに事故以来、早朝からの宝塚駅と車内の混雑には閉口する。早く「復旧」して欲しいとは思う。ただ言葉通りの復旧=元の状態へ戻す、だけではダメである。事故の原因と背景を明らかにさせ、その改善措置を執った上で運行再開させるべきである。その間の利用者の我慢や不満はやむを得ないのでなく、そこでも安全の最大限確保と快適性・利便性の確保に努めるのが公共交通事業者の責任である。
 例えば、JR宝塚駅、到着ホームを改札口のあるホームに変えるだけで阪急宝塚駅に向かう通勤客を跨線橋を渡らずに誘導できる。階段上で一歩も進まないという大混雑と危険な状態を回避できるのでないかと思う。反対方向に向かう人も跨線橋を渡るに渡れない。閉鎖してる改札ホームにいる係員に指摘すると、折り返し運転で線路を変わるための尼崎寄りのポイントが宝塚以東の運転休止で動かせないと言う。そんなこと?通電区間をポイントを含め少し広げれば済むではないのか?
 事故が起きてからも本質的には何にもJRの姿勢は変わらない。事故を招く体質がそのまま出ている。利用者のニーズを楯に利用しながら、儲け主義を崩さない。早く正確にという声は、今の時代確かに増えているが、これは利用者自身の本来のニーズではなく、長年の環境と経験で慣らされてきたのである。かつての正確さというのは、社会的な仕事を担う鉄道マンの誇りとして築き上げられ、利用者も勤勉な日本人として共感で応えてきたと思う。予定されたダイヤに正確であることは利用者は求める。問題は、ダイヤが安全に照らしてどうかということである。利用者の増大に応じてダイヤが過密になることもあるだろうこともわかる。鉄道マンの誇りが発揮できた時代にも事故はあった。ましてや、人の力だけで事故を防ぐのは無理なダイヤの状況であるのは確か。だから機械=ATSの設置で人の力を補強しなければならないのに、それをしてこなかったり後回しにしてきた。さらにダイヤを極限にまで過密化させてきた、運転士を仕事の誇りを奪うような環境に置き“人としての力”の発揮を妨げてきたのはJRでありそれは責任を越えて犯罪的でさえある。
 利用者の真のニーズは安全第一である。ダイヤ優先、スピードアップはJRのニーズである。「復旧」に向けてJRがやるべきこと、そして国交省が指導しなかればならないのは1.遺族・被害者に誠心誠意の補償すること。
2.安全でゆとりのあるダイヤに戻すこと。
3.安全に役立つ開発済みの装置はすべて設置すること。
4.運転士が人としての力を発揮出来る教育、環境を作ること。
5.すべてのJRの役員は引責辞任すること。
これらを世論できっちりさせることがどう出来るかに、今後の私たちの安全が懸かってる。
JRに自らの欲望を利用者の声として騙らせてはならない。
 人間は機械に替わることはできない。
 人間はシステムの一部ではない。
 システムを動かすのは、システムの一部の人間ではない、血の通った人間である。
今朝やっと現場に行って手を合わせてきました。やっと胸のつかえがとれました。