普通の人の日常を奪ったJRの責任はあまりにも大きい!

 あのJRの大事故からやがて1年がやってくる。今日、TVで事故で犠牲になられた3家族の“それまでとその後”がドラマ仕立てで放映された。中でも散髪屋のNさんのことは、いつも頭を刈ってもらっているので、人ごとは思えず、1年前がよみがえり、こみあげるものを押さえることが出来なかった。
 事故後はじめて散髪に行った時の情景を書いたものを改めて読んでみて、普通の人の生活の日常を奪っておきながら、1年経っても本気になって安全第一の経営に向かおうとしないJRへの憤りを新たにしている。
 昨年6月に書いたものを採録させていただきます。

■梅雨入りの日にー散髪とJR事故
 梅雨入りにふさわしいというのか、昨日までのカラット晴れ上がった空が一転朝からかなりの雨である。それも午後から上がったので“意を決して”夕方散髪に行った。何故なら、Nさんという散髪屋さん、尼崎のJR事故で奥さんを亡くされた方で、事故の少し前に頭を刈ってもらってから2ヶ月ぶり、事故の後初めてお会いすることになるからだ。なんと声を掛けたらいいのか…。
 4時半頃、店に入ると息子さんが1人のお客さんの頭を刈っていた。ご主人がでて来た。何と言ったのか覚えていない。わたしは頭を下げただけで声は出てないのかも。口数の少ない人なので、散髪中はただ、ハサミの音だけが重苦しさを凌いでくれていた。いつもは、元気いっぱいの明るい奥さんが、客の誰彼となくお喋りしている。やはり雰囲気は違う。いつもなら、奥から「いらっしゃい!」といいながらでて来るはずだ。
 先客も帰り、私の方も終わりかけになって、ようやく話ができた。「お嬢さんは(嫁ぎ先に)もう戻られたんですか?」と声をかけた。「子どもがまだ小さいから、余り長く居れませんわ。」「じゃ、食事などたいへんですね」「まあ、息子と何とかやってますわ…」「実は、私も現場にお参りにいかせてもらいました。」「そうですか、ありがとうござました。」ここいらから話が弾んで?きた。「月曜日(休業日)の何本もあるのに何であの電車に乗らなあかんかったやと思うと、可哀想でなあ…」「男2人でわびしいもんですわ。」「早いこと息子が嫁でももろてくれたらなあ…」「家内が居らんようなってお客さんも減って収入も下がってくるしなあ。」
 聞けば、お客さんにも4名犠牲になられたらしい。まだ入院中の人もいるという。一番多くの犠牲者がでたのがこの街だとは聞いていたけど、直接こういう話しを聞くとその酷さが心に刺さる。
 JRの責任にも触れられた。「もうけが第一になってるわな!」「何であんなスピードやダイヤになるんや」「運転手の技術もなあ…」「運転手をあこまで追い込むのもなあ…。」これからの補償交渉についても「信楽線事故と違い今度はJRが責任を認めてるから…。世論が後押ししてくれてるからなあ。」「弱いものはやっぱり力を合わせなあかんわ。」などと、どんな展開になってるのかわからないが、大変さが窺い知れた感じ。
 私も仕事柄JR各社とも取引関係があり、最近のJRの横暴な態度が如何にひどいか、現場と上層部がいかに乖離してるか風通しが悪いかなどを話した。また「ダイヤは以前は許可制だったのが、規制緩和で今は届け出制になってるのですよ。JRになった時にATSの設置基準も緩められたんですよ。」と言うと「それじゃ、国の責任もあるわなあ…。」と。などなど、散髪代金を支払ってからも立ち話が続いた次第。初めて犠牲になられた方の身内の方とのお話しでどこまでいつまで喋っていいのか… 
 時間は6時半過ぎ、先に仕事を上がった息子さんがしているのか、奥から何か炒め物をする音と匂いで我に返ってお礼を言って出ようとした。最後に「松岡さんもうちへ来てもらって何年ですかな?」「震災の後ですからもう10年です」「これからもよろしく」「頑張ってください。」のどかな住宅街で自分と家族の腕で、地域の人とお互いに世話になりながら生きている普通の人々の生活を奪ってしまった責任はあまりに大きい。再び電車を走らせて補償をすれば…というものではないはずだ。(T.MATSUOKA)