KokusaiTourist2007-11-14

秋の信濃路 最終章
11/5(月) 晴れのちくもり
 滞在中に食卓に上がっていた新鮮な数々の野菜は、叔父が作っている畑から収穫してきたもので地元の農家の休耕田を借りて丹精に作られていた。叔父の真面目な人柄が出ていてキレイに整頓されていた。自然が間近にある生活もいいなと感じる。
今日は、
妻籠・馬籠宿の散策道すがら、一日目に購入した林檎などを宅配の集配所に持ち込み、その近くにあった飯田の名産“水引資料館”を見学。私の知る“水引”は、祝い袋の飾りとしてしか知らなかったが、アクセサリー・造花の花や置物等、手の込んだ作品が展示即売されていた。
 飯田を後にして、昼神温泉街を抜け昼過ぎに妻籠宿に到着。紅葉の山を背に江戸時代にタイムスリップしたかのような街並みは本当に絵になる風景。日本の原風景を求めてか、外国からの訪問者も多く見かけた。
 昼食は、叔母達のお勧めの食事処“藤乙”で、ざる蕎麦と五平餅の定食を食べた。1日目の昼食で食べた五平餅と形も味噌も違い香ばしく、蕎麦はコシがありこれまた美味しかった。以前は、旅館の客室であったであろう場所をつなげて、大広間にしているので収容人数は100人くらい入れるのだが、休日は、予約しないと入れないくらいの来客があるというのは、納得できるお店である。
 食後馬籠宿に向かう。馬籠は、急勾配は坂の町で、私達は坂上から下に向って歩いていった。石畳に整備された道は、雨や雪ならば滑ってこけてしまいそうとか言いつつ、お土産やを覗きながら散策した。途中、島崎藤村の生家の資料館があり、博学の無い私達は、“まだあげ初めし前髪の〜”という詩が藤村作ということに改めて気付いた。旅に出掛ける前には訪れる先のことぐらい勉強しとかないといけないと反省をした。

 JR中津川まで叔父に送ってもらい、特急しなので神戸へと帰る。平日の夕方、自由席で座れるだろうと思っていたら、入り口付近には席にあぶれた人が‥。名古屋まで立っていかないと無理かなと思っていたら、中年女性の方が、手を振って合図してくれ次の駅で降りるから座りなさいと親切に声を掛けてくれた。また、車掌も自由席の下車される方を把握していて、あのご婦人達の近くに行ってなさいと教えてくれた。他の方には申し訳ないが、六十を過ぎた母と大きな荷物を持っているので許していただこう。
 大阪まで、ゆっくり列車で休んで帰れるなと思っていたら、新大阪駅手前で私達の乗った列車が急ブレーキを掛けて止まった。列車近くの踏み切りで非常停止ボタンが押されたため運転手が確認に行き、幸いにも何事も無く三十分遅れで発車した。ところが、終点の大阪駅ではラッシュ時の列車の延滞でホームに人が溢れかえり、何時神戸まで帰れるのかという状況だったため、仕方なく私鉄に乗り換えての帰宅となった。母はめったに電車に乗ることが無い為、ハプニングを喜んでいた。これも旅の思い出となったであろう。

 今回、冬のスキーシーズンの長野しか訪れたことの無かった私にとって紅葉シーズンの信濃路の旅はとても満足いくものだった。これも、色々と計画を練ってくれた叔父達のお陰。早速、馬籠方面に行かれるお客様に役立つ情報を知らせることも出来、有意義な休日を過ごせました温泉も多く、雄大な景色を満喫できる秋の信濃路をおすすめします。Aiko.T