“ドクター安達

KokusaiTourist2010-05-16

○○○○○○のNPTレポート”その1
大阪民医連社会保障平和委員会委員長で茨木診療所所長、西淀病院副院長の安達克郎様からニューヨークでのNPT再検討会議参加レポートが寄せられました。ご了解をいただき、一部編集のうえ、数回に分けてブログに掲載させていただきます。

日本原水協ニューヨーク派遣団
NPT再検討会議 in New York and San Francisco in 2010
2010年5月1日(土)〜8日(土)
茨木診療所所長、西淀病院副院長 安達 克郎
1日目
2010年5月1日(土)西宮 晴れ → 成田 → デトロイト → ニューヨーク 晴れ
 6:45に家を出て、7:15には伊丹空港に着く。8:00発の成田行きANA2176便に乗り、9:20には成田に到着、気温は21.2℃の標示。けっこう暖かい。4万円をUSドルに両替すると413ドルだった。4GBのSDカードを購入し、ついでに「ひとり歩きの会話集?英語」も買っておく。このシリーズはわかりやすく、ハングル、スペイン語、フランス語と買って今まで勉強してきた。けっこう役に立った。機内で読むのに適当だろう。
 集合の12:30まで時間があるので食堂に入って時間をつぶす。友の会機関紙に投稿する糖尿病の記事が出発するまでに書けなかったので書こうとしたが気が乗らない、ええい、帰ってから書こう。頭はもうNPTモードだ。
14:25には機内に、デルタ航空272便は15:15に離陸する。機内では旅行前の疲れがたまっていたのかほとんど眠って過ごしていた。機内食を2回食べ、中継地のデトロイトに着いたのは日本時間の午前2:40、約11時間40分のフライトだった。時計を13時間遅らせ現地時間5月1日午後1:30にする。
ニューヨークのJFK空港には19:12に到着、約1時間10分のフライトだった。
車中で簡単な注意がある。チップは15%くらいで、タクシー(イエローキャブ)も必要とのこと。地下鉄は1回どこまででも2ドルでバスへの乗り換えも2時間以内なら同じチケットでOKとのこと。公園は、昼間は比較的安全だが夜は危険な区域として一変するので(ゲイや麻薬取引の場になるのだという)、近寄らないようにすること、など。

爆弾騒ぎがあったとかで一部通行止めになっており、バスは少し迂回して、21:25に宿泊予定のホテルPARK CENTRALに到着する。HB先生、KT氏と3人でホテルの前のデリカテッセンに食事に行く。スパゲッッテイと思って頼んだミートソースは、思っていたものと違ったものが出てきた。あまりうまいとは言えない。23時過ぎにホテルに戻り、もう疲れもたまって風呂に入るとすぐに眠ってしまった。別便は23時過ぎに空港に着き、ホテルに着いたのは24時を過ぎていたそうだ。

2日目
2010年5月2日(日) ニューヨーク 晴れ
 午前中、セントラルパークで署名活動 10カ国の人から120名の署名を集める

 9:30にロビーに集合し、午前中は署名行動。わが班は7 Avを上ってセントラルパークの入口のところで署名を始める。大矢さんが公園の石壁に持ってきた横断幕を展示し、早速タンバリンをたたきながら「no more war! Please sign.」と叫ぶ。喜多さんは滋賀民商ののぼり。OY夫人やIH夫人は熱心に声をかけたくさん署名を集めていた。HB先生とMK君は公園の中に入って行って30人分の署名を集めて来た。
 交差点の向こう側には京都から参加のメンバーが「we wish nuclear weapon-free world.No more Hirosimas.No more Nagasakis,No more war」と大きな声で訴えている。私も一緒に声をかけ署名をしてくれた人にはみんなに「Where are you from?」 と尋ねる。そして、折り鶴と短冊を渡す。約1時間半ほどで10カ国余り120人の署名が集まった。

 午後はタイムズスクエアで集会、国連本部までデモ行進 12:50 集会のあるタイムズスクエアに向かって4班みんなで歩いていく。タイムズスクエアは思ったより狭い場所だった。多くの集会参加者が集まっていて、別班で参加の大阪組みや全日本民医連のNS、OG氏などにも出会う。NS氏とはキューバ視察で、OGとは韓国平和ツアーでお世話になった。
 できるだけ多くの海外の人と知り合いになろうと、チャンスがあれば声をかけ、名刺を交換し、写真に撮る。日本からの横断幕を両端で持っている外人カップルがいた。粕谷さんという方に英語を教えていたRyan夫婦だった。KSさんがNPT再検討会議に参加するのでわざわざバージニア州から手伝いに駆けつけたのだと言う。
 カリフォルニアの原爆研究所で働いている婦人たち、ノルウエイからやってきたグループ、ワシントンに本拠を置くWIL PF(Women’s International League for Peace and Freedom)などの人たちに声をかけ一緒に写真を撮っていく。彼らも日本のグループと一緒に写真を撮るのを喜んでいて、次から次に各人のカメラが渡される。カナダから参加のNancy Convington さんは、Phycians for Global Survival というグループのドクターだった。カナダといえばIPPNWの共同議長をしているアシュフォードさんを知っているかと思って尋ねたが知らなかった。IK先生にカナダのドクターがいると言うと近寄って来て、「私は被爆者の方を50人以上診ている。彼らは多重の癌に苦しめられている」などと被爆者の現状を説明していた。
 14:00頃集会が始まる。世界各国の代表が登壇し、核廃絶を訴える。日本からも被爆者の木村緋紗子さんが発言していた。空気は生暖かくとても大阪のデモ隊列の場所にいられなかったので抜け出して通路を散策する。発言台のところまでやってきた。見るとプレゼンターの紹介をドイツ反核法律家協会のライナー・ブラウン氏がやっていた。なつかしい、原水爆禁止世界大会で顔見知りになった人だ。そして総合司会をアメリカフレンズ奉仕委員会のジョセフ・ガーソン氏がしていた。彼とも長崎の原水爆禁止世界大会で会って分科会で彼の本を買いサインをもらっている。彼らと再会できることを願いつつ来たのだが、本当に会えてよかった。彼らは世界の反核活動家の中でもかなり名の知れた人なのだ。なにせこの大事な集会で司会をしているのだから。

 次々に世界の人たちからのアピールが続く。しかし、生暖かい場所で長時間の立ちっぱなしは体にこたえる。司会者は早く発言を締めくくるよう急かしている。壇上の前に椅子席があり被爆者と思われる方が50人ほど座っていた。 街角に、きたがわてつさん、橋本のぶよさんがいたので声をかけ一緒に写真を撮る。
2人は明日のピースコンサートで歌うことになっている。デモに出発の15:30が近づいてきた。大阪のメンバーの所に戻っていく。
 15:40になった。さあこれから国連本部前までデモ行進だ。横断幕を持ち黄色いTシャツを着た大阪からの参加者もデモ行進を開始する。ぼくはときどき隊列から抜けでて他の参加者の様子を探りに行く。沿道の人たちに折りヅルや自分たちのアピール文を渡していく多くの人がいる。バーモントから来たPutney 高校の生徒たちのパフォーマンスは音楽あり、踊りありで、沿道の人たちの注目を浴びていた。TV局も取材をしている。ときどき歌を歌いながら大阪のグループはデモを続ける。
 17:10やっとデモ終了地点の国連本部前にたどり着いた。ここでもステージが設けられ、歌をメインにいろいろなパフォーマンスが行われている。日本の太鼓のグループやアフリカの搾取され続けてきた人たちが歌っていた。被爆者の下平さんの被爆証言も行われていた。
 あたりをうろついていると長崎の田上市長のインタビュー場面に遭遇した。
日本のTV局のようだ。インタビューが終わってまもなくして、横を見ると広島の秋葉市長を先頭に火を捧げ持ったグループが国連本部の方へ歩いていく。明日から始まるNPT再検討会議で「核のない世界を」つくるための国連への要請行動のようだ。アメリフレンズ奉仕委員会のジョセフ・ガーソン氏もその隊列の中にいた。
 彼らを見送って、ふと向こうの方を見るとなんと志位委員長井上哲士笠井亮参議院議員ら一行が歩いてくる赤旗で彼らがこの会議に参加することは知っていたが、ここで会えるとは思わなかった。HB先生が「安達先生写真撮ってあげるよ」と言ってくれて、この貴重な志位委員長とのショットが撮れた。

 ジョセフ・ガーソン氏がいた。彼に近寄って声をかける。「I met you in Nagasaki.I bought your book and had it signed.I read it and learned a lot.That is a great book」なんて言って一緒に写真を撮ってもらう。みんなにも声をかけ、今日の集会で総合司会をしていた人で反核運動では世界の指導者の一人です、と説明する。ガーソン氏は僕らの後もいろんな人たちから声をかけられていた。
 そして、今度はベンチにアン・ライトさんが座っているのを見つける
彼女は日本に何回もやって来て多くの講演を手掛けている人だ。米国軍人(大佐)で外交官だった人だが、ブッシュのアフガニスタン侵攻に抗議して職を辞し、世界各国を講演して回っている。IHが京都で行われた新婦人の講演会で彼女の話を聞いたことがあるので顔を知っているという。彼女に近づいて話しかける。「I met you in Japan.I heard your speech twice. I bought your book and had it signed.」などと言って会話をつなげる。彼女は大阪で講演したことはよく覚えていて、証拠の僕のデジカメ写真も見せると、喜んで一緒に写真におさまってくれる。みんなも一緒に写真に収まる。隣にいた若い女性はEmmaというミュージシャンでIHはCDをもらったそうだ。日本にも行きたいと言っていたそうで、その時は彼女の家に泊めてあげると約束したそうだ。それなら僕もと名刺を渡して「When you come to Japan, feel free to contact with me.」なんて言ってしまった。まさか連絡してこないよね。
 顔に変な絵の具を付けた(後で核兵器の印と分かる)グループに声をかけ一緒に写真を撮る。彼らはフランスからの参加だそうだ。フランスから! 覚えたばかりのフランス語を話してみた。今度11月にパリに行きます“Je vais a Paris cette Noviembre.” 通じたようだ。

彼らはみんなで20数人のグループでTV局のインタビューを受けていた。そして、“The Nuclear Weapons Polices”と書いた模造紙に靴を投げていた。一緒になってOY夫人は着物を着ていたので靴の代わりに草履を投げていた。
 ああ、疲れたなあ。足に豆ができたみたいだし、どうしてか腰が痛む。KTさんも痛いと言っていた。長時間立ったままで、しかもそのあと1時間半も歩いたからでしょう、と。少し腰を落として一休み。すると隣にかなり年配のご婦人が座ってきた。“Where are you from?”、“Cuba”。ええ!キューバ
 “I went to Cuba twice.”と言ってキューバ訪問時のデジカメ写真を見せる。彼女は記念にゲバラのワッペンをくれた。隣の彼氏もキューバ人と思いきや、フランス人だった。ああ、いろんな人に出会ったなあ!