佐村河内守さん

KokusaiTourist2010-08-14

交響曲第1番HIROSHIMA”の全楽章公演、
世界初!今日京都で!
写真は今日18時45分からの「NHK関西のニュース」より

佐村河内守…昨年夏、初めて耳にした作曲家の名前。被爆二世、全聾で、五木寛之氏が天才と評した。その時えた知識はこれだけ。実行委員会からの様々な情報や、数多くのメディアが取り上げる中で、この作曲家のこの交響曲が、今回京都で世界初演奏されることの意義は理解しつつも、70分ぶっ通しの演奏に耐えれるかと思いながら京都コンサートホールへ向かった。しかし、それは杞憂に終わった。
 終戦記念日の前日の8月14日、秋葉広島市長、門川京都市長ノーベル物理学賞受賞の益川さんも含め、用意された客席はすべて埋まった。招待された300余の障がい者と小中校生も含めた客席、京都市交響楽団の団員たち、指揮者の秋山和慶氏の一体感!
 闇だと指弾する原爆の凄まじさ、自身の耳鳴りの“轟音”とのたたかい、そして平和への希望を指し示す一条の光、それぞれを3楽章で表現された70分は、いつの間にかすぎたと言っても過言ではない。
自身は客席で広島市長と並んで座っておられたが、彼にはその演奏は聞こえない。数日前のテレビで、「自分が作った曲を聞くことができないことの絶望感はどうして乗りこえられたんですか…」との質問に対して答えられた言葉!「正直に言っていいですか? 今でも乗りこえられていません!…」。

 手を振り上げ、髪を振り乱し、体を揺り動かして指揮を執る秋山氏、100人近い楽団員の汗びっしょりだけど誇りに満ちた顔、真剣なまなざし、弦楽器をつま弾く手、リズムを取る足などなど… そして、聴衆の最後の大きく長く続く両の手を合わせる動き!彼にとって、苦しみにのたうち回りながらも作り上げて良かったと感じる70分だったのか。
 演奏が終わって、すでに目を潤ませていた団員が数人。さらに客席から彼が壇上に上がり団員と握手する。耐えられず涙する男性団員たち。花束を渡したのは、過日のテレビに出ていた右手の手首から先が無い女の子。その子の為に彼が作った“左手だけで弾けるピアノ曲”。彼はそれを彼女が弾くピアノの振動で「聞いて」、抱きしめてほめていたのだ。
 最後にマイクを取った彼、それは期待通りか期待してなかったことか…聴衆に一瞬の静寂が覆った。女の子と並んで、「核廃絶のため、作曲家としてできることをやっていきたい」「核兵器の無い未来を生きる彼女のためにも拍手を!」と述べ、聴衆は再び割れんばかりの拍手で応えた。こうして、交響曲の生演奏を生まれて初めて「聞き遂げた」私の70分は終わった。旅を仕事にしている者として、核廃絶のためできることは少しづつでも重ねて行こうとの想いを強くして…今日のプログラムにあった彼の言葉を最後に。
 「私は耳が聞こえません。耳の聞こえない私の代わりに、本日お越しの皆様の耳で、この闇と祈り(光)の交響曲第一番“HIROSHIMA”をどうか聴き遂げてやってください。そして同じ思いに至って頂けたなら幸いに存じます『核兵器のない世界を子どもたちに』……と。」

(T.MATSUOKA)