バリ島の結婚式


 急に寒くなった日本を離れ、先月末から、常夏のバリ島に行ってきた。目的は甥っ子の結婚式出席である。祝いの代わりに結婚式に来てと言われ、親戚総勢11人一緒に初めてのバリ島に行くことにした。
 ところが関空で、思いもかけぬハプニング。なんと11時離陸予定の飛行機がまだデンパサールを出発していない、出発は夜の9時だという。昼食を済ませて用意されたホテルで休憩、夕食の後、ようやくバリ島に向けて関空を飛び立ったのは午後10時20分、11時間40分のDELAY。この間、遅れの理由はなんら説明がない。広まった噂では、火山爆発で閉鎖された空港があり機材のやり繰りがつかなかったのが理由らしいが…。ひどい話だ。
 機内で寝なければならない。数年前から睡眠時無呼吸の治療で寝る時にCPAPというマスクをつけて寝ている。ずっと風を鼻から送り込み、無呼吸状態になると(気道が何らかの理由で塞がれるのだろう)、風が強くなり風圧で気道をこじ開け呼吸を回復するという優れものだ。マスクを付けないで寝ると、無呼吸状態が、わたしの場合、1時間に40回以上(10秒以上止まってるのを1回と数える)も起きる。データをみると、ひどい時には、130秒(=2分10秒!)も止まる。覚醒状態ではとても耐えられる長さではない。相当重症である。マスクを付けると、止まってる時間が短くなり、血中酸素濃度の低下の心配が軽減される。ただ機内ではコンセントもないので、使えないが、完全に仰臥しないので、寝ても無呼吸状態にはなりにくい。疲れもあり、往きの機内では5時間ほどぐっすり?休めてすっきりしたようでホットした。ホテルでは、変圧器と持参のプラグでマスクはその役割を果たしてくれた。実は、無呼吸症候群になって初めての海外で、これが一番の心配事ではあった。
 今回の結婚式、我々親戚の出席はともかくも、驚いたのは新郎新婦の友人が30人近くも日本から出席していたこと。お祝いの代わりにとはいえ、親戚、友人合わせ40人もがバリ島旅行の費用を考えると500万ものお祝いになるではないか…!よくもまあ、こんな結婚式を決断したものだ。バリ島はほとんどがイスラム化したインドネシアで唯一ヒンズーの信仰を守ってきた地域である。だからといって、二人の結婚式はまさかヒンズー式のものでもなく、日本から出席した人々の前での「人前結婚式」というものであった。40年前、私たちが挙げた結婚式も、当時では珍しく“画期的”な「人前」だったことに思いを馳せ出席した。
 とてもいい結婚式だった。澄み渡った南の島の青空の下、緑が映える芝生に白い花ビラで作られたバージンロード。司会は、現地人かと見まがうばかりの日本からやってきてた友人、立会人はヨチヨチ歩きの幼児
を抱えた友人夫妻、そして我々も、ネクタイなどなく、「バリ人」になったつもりでの南国の開放的な装い。誓いの言葉、指輪交換、届けへのサイン、
立会人の“承認”のことばなどの進行のあと、花吹雪のバージンロードをくぐりぬけて式は結びに。芝生で乾杯し三々五々歓談、記念写真。いったん解散し我々も近くのホテルへ、戻り休憩し、夕方から披露パーティー。このパーティもなかなかの趣向で、楽しいものだった。10人もの人々による現地楽器の生演奏や、踊り、さらには生バンドも入り会場からのリクエストにも応え、“現地人”にお色直しした二人も一緒になった踊りの輪が盛り上がる。午前の式場だった目の前の芝生にスコールが激しくたたきつけていた。そんな中での熱気あふれる、そして心温まるパーティだった。印象的だったのは、
午前の式からパーティまで、ホテルのスタッフが参加者と一緒になって、ほほえましく拍手したり、笑ったりの、日本では考えられない光景。
 結婚式も無事終え、飛行機の遅延で丸一日を損した?とはいえ、せっかくのバリ島を楽しまねばと…有名なウブドを1日かけて観光、夜はビーチ沿いのレストランでシーフードのバーベキューに舌鼓。
最終日は、エステとバリ島の夕焼けを楽しむ。帰りは予定通りの夜行便。定刻の朝8時半に関空に到着。
親戚がそろって海外で一緒に楽しむなんて考えられなかったことが、若い二人の“決断”で実現した。私も、無呼吸症候群だが、海外 に行ける自信?がついた。新郎新婦に感謝!そして、元気に仲良く暮らせることを祈るばかりである。




おめでとう 南の島の感激を 忘れませんと 二人が誓う


T.MATSUOKA