被災地激励訪問記2

  名取市の地区も海岸線に近くて、津波の被害状況は一様に見てわかる光景であった。海岸線から約2km離れた集落の中に閖上(ゆりあげ)小学校がある。日常は指定避難所となっていたようだが、尋常ではない津波で3階建て校舎の1階や校庭が浸水。大量の泥や車、木材などが入り込み、校舎は使えなくなった。指定避難所としての学校も無力であったようだ。
  閖上地区の港付近まで行ってみると、家屋や建造物がほとんどない光景であった。その地区では、自衛隊が瓦礫の撤去や道路部分の確保などの作業が広域にすすめられていた。また、住民は避難所などに行き、人っ気のない集落はパトカーが頻繁に巡回していた。そのパトカーもボディー部に○○県警と書かれており、他府県からの応援でやってきた部隊のようだ。このような他府県部隊の保安パトロール隊が相当数、被災地に応援にきている。

  平野部が広く高台のないこの地区では、津波が来るとの情報が入ってからの避難において、その避難開始の時間や避難する道のルートの違いにより、多くの人々が生死を分けたと聞いた。
 
  仙台中心地から国道45号線ルートで松島への経路途中に塩竃市(塩釜)がある。塩竈市は、松島湾に面し親潮黒潮が合流する好漁場である三陸沖を間近に控え、水産業を主要産業とする都市である。魚市場には年間約1万3千トン、約97億円(平成20年)の水揚げがあり、また、塩釜の市場は長年にわたる生鮮まぐろ類の取扱技術や実績の蓄積によって大きな信用を得ており、生鮮まぐろの水揚げ市場として全国的に知られている。

(写真下は津波塩釜港に打ち上げられた遊覧船)
  水産業の街であり海に隣接しているがため、今回の津波での被害も大きなダメージを受けたようである。豊富な水揚げの魚から加工してかまぼこなどの水産加工品が名産で、生産工場も多くあるが生産はストップしているようであった。水産業で働く人も多いはずで、その関連産業を含めると相当な人々の生活が奪われていると思える。
  JR仙石線の「本塩釜駅」あたりが商業の中心地のようだが、被害の少なかった店舗が徐々に営業再開していた。通りの道端にブルーシートを広げて水産加工品を並べ露天販売していた人がいた。声をかけると、店舗が津波で倒壊したため露天で商売をしているとのことであった。神戸から来たことを告げると、「神戸の地震もひどかったねえ」と。「商売人は商売してないと元気が出ない。」と言って頑張っておられた。