「想定外」

龍澤寺住職 水田師“山家妄想”より抜粋転載

  希望的観測は原子力の平和的利用(原発推進)政策の出発時から存在し、それは「安全神話」とよばれた。その神話は今回の事故によってもろくも崩れた。
五重の安全策によって事故を起こさないといわれた神話、実際は放射能を環境にばらまくことになった「CO2を出さないクリーンな」という神話などなど。
しかし、神話は本来人間の作り出したものであり、自然の威力は人知をはるかに超えたものである。人間は神話を作り出すとき「人知をはるかに超えた」自然の威力を想定しなければならないし、それだからこそ神の物語となるのだ
このようにするとき「想定外」などという言葉はなくなる。
  例えば、津波の高さは「チリ地震津波」を想定していたという。かの時日本を襲った津波の高さは数メートル、だから十五メートルを超えた今回は「想定外」と。しかし、チリ地震のとき日本は震源からはるか太平洋を隔てていた。震源間近のチリでは高さ十数メートルの津波が襲ったという。決して想定した範囲を超えていたのではなく、想定しなければならぬ範囲に目をつむった希望的観測であったということだ。
  いま原子炉の冷却に海水を大量に注入しなければならぬといい、実行している。本来冷却は水を循環させておこなう仕組みになっていた。この仕組みでは原子炉の外への排水は少ない。排水の放射能除染も可能であった。
しかし、循環の仕組みが壊れて大量注水すれば大量の排水が出ることは自明である。放射能除染も困難というより不可能である。当然のこととして、高濃度汚染水を貯水するところが必要になることは想定しておくべきことである
いま、頭をかかえているのはその問題であるが、はたして「想定外」のことなのか。
  この廃棄物処理問題は、当然のことながら原発当初からの問題であった。
燃料を燃やしてでる燃えカス、プルトニウムをどのように処理するのか。いちばん簡単なのは原子爆弾を作ること。しかし、公然といえること・できることではない。mox燃料を作ってプルサーマル炉で永久循環使用する。まだ実験段階であり、実現可能性は低い。
  原発内の放射能が存在するところで使った作業用の被服などの汚染廃棄物、低濃度とはいえ放射能が存在する間はどこに保管するのか。
現にできてしまっているこれらの高濃度の廃棄物や低濃度汚染物をどう処理するか。
さる高名な俳優(事故以来、すっかり姿をかくしてしまった)が関西電力のテレビ・コマーシャルで「地層処分」をするから大丈夫といっていた。つまり地下深く穴をほって何世紀もの間埋めるというのだが、実は穴をほる場所も見つからない、技術も未完成という。
だから、いままで原子力発電所は「トイレのない高級マンション」と呼ばれてきた。トイレがなければ、いかに高級でも「神様」はいないし、居住を希望する人もいまい神話からの決別が迫られている