◇福島で「過小評価」繰り返すな

8月3日毎日新聞 記者の目:平和を考える 原爆症認定訴訟=牧野宏美から

  原爆症の認定申請を却下された全国の被爆者が、処分取り消しを求めた原爆症認定集団訴訟のうち、最後の訴訟が7月、大阪地裁で結審した。これまでの判決は、原爆放射線が人体に及ぼす影響を国が過小評価してきた可能性を指摘し、原告側の訴えを認めている。判決を受けて国は、原爆症の認定基準を見直したものの、放射線の影響に関する考え方は一切変えていない。原爆投下から66年を経た今も原爆症認定を巡る問題が尾を引いているのは、こうした国のかたくなな姿勢のためだ。福島第1原発事故による放射線被害では、同じ失政が繰り返されてはならない

 原発事故の被害者思い  
 「裁判所の公正な判決の力が、原爆被爆者に対する国の冷たい姿勢を改めさせるのみならず、今回の原発事故の被害者の方々に対しても国が正しく真剣に向き合っていくことにもつながると願っています」。7月8日、大阪地裁の法廷で、原告の女性(69)は震える声で訴えた。女性は3歳の時に広島で被爆。物心ついた頃から体が弱く、何度も病院に運ばれた。だるさで朝起き上がれないでいると「横着病」と周囲から非難された。04年に右目が見えなくなり、「右網膜動脈閉塞(へいそく)症」と診断された。原爆症認定を申請したが、却下された。
 私が胸を打たれたのは、女性が貴重な意見陳述の時間のほぼ半分を原発事故に割いたことだ。女性は福島の子どもが避難先で差別を受けたというニュースを聞いて胸が詰まったという。差別を恐れ、被爆した事実を隠してきた自分の人生と重なったからだ。
 高齢の原告の多くは「次の世代に同じ苦しみを体験させたくない」という思いで訴訟に臨んできた。それが今、原発事故後の対応で「ただちに健康に影響はない」と繰り返す国の態度に、「原発事故の被害者たちも、将来健康被害が出た時、自分たちと同じように切り捨てられてしまうのではないか」と感じている。
 被爆者援護法では、病気が放射線に起因し、現在も医療を要する状態であれば原爆症と認定され、医療特別手当などが支給される。だが、病気と被爆との因果関係などで国の基準は厳しく、認定数は被爆者健康手帳所持者の1%にも満たなかった。このため、国の審査は被爆の実態を見ていないとして、03年から全国17地裁で被爆者が集団提訴、原告側勝訴が相次いでいる。

 08年の大阪高裁判決は「(国が審査に用いる放射線量推定方式で)残留放射線は過小評価の疑いがあり、放射性降下物による被ばくや内部被ばくの可能性も考慮されなければならない」と判断。今年7月の東京地裁判決は、被害実態を把握する上での資料不足や調査の問題点を指摘し、「解明が進めば従前疑問とされてきたものが裏付けられる可能性もあり、(放射線の影響が)小さいと断ずべき根拠は見当たらない」と述べた。
 ◇未解明なものは影響ないことに
 こうした司法判断が続いているにもかかわらず、国は「残留放射線や内部被ばくの影響は無視できる」という主張を変えようとしない。「未解明なものは影響がなかったことにする」という態度だ。
 なぜ、国は硬直的な姿勢を取り続けるのだろうか。
 訴訟で内部被ばくの危険性を指摘した琉球大学矢ケ崎克馬名誉教授(物理学)は「原爆被害が過小評価されてきた背景には、『核兵器は破壊力はあるが、放射線で長期にわたり苦しめるものではない』としたい米の核戦略があった」と指摘する。
 原爆放射線の人体への影響は、1947年に設置された米国原爆傷害調査委員会(ABCC)が調査を始め、75年からは日米両政府で管理運営する放射線影響研究所が引き継いだ。その研究成果は、国際放射線防護委員会(ICRP)が放射線防護基準を定めるうえでも重視され、同委員会の勧告を受ける形で日本政府が定める放射線の被ばく上限値にも反映されている。
 しかし、この勧告については「内部被ばくを過小評価している」などの指摘があり、今回の原発事故による健康への影響も専門家間で意見が分かれる。それだけに、原発事故の周辺住民らは将来の健康や生活に不安を強めている。
 自身も長崎で被爆し、半世紀にわたって大阪で被爆者の診察を続けてきた医師の小林栄一さん(85)は「放射線の影響を低く見積もろうとし続けた国の姿勢により、救われるべき多くの人が切り捨てられてきた」と話す。福島の原発事故では、原爆被害のような「過小評価」が繰り返されてはならない