旧満州開拓団の石碑にペンキ


東京の友人K君からの下記メールを転載します。

5000人の避難開拓団員が死んだ方正県。かつて周恩来総理が、開拓団の農民たちも日本軍国主義の犠牲者だとして、階級的な国際主義の立場から碑の建立を認めた歴史はすでに過去のもの。今日中国には『愛国無罪』という愛国主義(これが本当に愛国なのかどうか検証抜きの)『思想』によって教育された青年たちが多数います。今回のペンキ事件もその延長線上にあります。満蒙開拓団は確かに戦争と侵略の先兵ではありました。しかし時の権力に煽られ、自分の考えを持つ教育も無く、貧しさから抜け出そうとした貧窮者たちこそが開拓団であったのです。開拓団員はほとんどがソ連国境警備の屯田兵として送られ、敗戦時遁走する関東軍からは終戦を知らされず、多数がソ連軍によってシベリアに抑留されました。残ったのは女子供と老人ばかりでした。方正で自決したのはこういう人たちでした。その意味では周恩来の考え方は正確でした。確かに方正の新しい碑建立は5000人死者のうち250名の名前しか刻んでおらず、もっと多く判明してからの方がよか
ったと思いますし、日本人訪問者を呼び寄せたい経済的意図もあるでしょう。それは問題ですが、今中国全体が金もうけ第1主義といっても過言ではない状態ですので、何ら不思議ではありません。本当に残念な気持ちです。ご意見をお寄せ下さい。