復興へのみちのり 

web 東北マグから転載
被災した水産業者が次々と廃業を決める中、老舗缶詰めメーカーが果敢にも会社の再建にのり出した。かろうじて柱と壁の一部が残された倉庫で、残骸に埋もれた商品を掘り起こし、事業復活に希望をつなぐ人々がいる。ふたたび人の行き交う街を目指して、復興へあゆみ始めた被災地の街。木の屋石巻水産の挑戦を通して、その長いみちのりを追いかけてみる。
3月11日、まっ黒い水の壁が押し寄せ、石巻の街を飲み込んだ。三陸金華山沖の豊かな漁場にめぐまれ、日本有数の水揚げ高を誇った石巻漁港は、またたく間に重油まみれの泥に覆い尽くされた。沿岸部にあった200社近い水産加工工場も全てのラインが停止した。
木村優哉さん 「電柱に捕まって津波の引き潮に耐えていたら、横を小学生ぐらいの男の子が流されていったんです。手を伸ばしたが届かなくて・・・」「雪がちらつく神社の境内でブルーシートをかぶって一晩過ごし、ようやく避難所にたどり着いたら食べるものがなかった。逃げる時にとっさにポケットに入れた缶詰があったから、皆でわけて食べました」被災直後の壮絶な状況を、木の屋石巻水産の社員は、静かに語ってくれた。
4、5日経って水が引き始めた為、社員の木村さんが工場を見に行くと「どこが入り口かもわからない状態」で愕然としたという。この頃になると、一部の社員が工場にあつまって、お互いの安否を確かめ合うようになっていた。水や食料の確保など生きのびる為の情報交換が主な話題で、会社再建の話が出てくるような状況ではなかったという。しかしこのあと、東京から支援物資を運んで来たドライバーが転機をもたらす。彼の一言を受け、木の屋石巻水産は復活へと大きく舵をきりなおす。
つづく(1/3回)

松島へ行ってきました!
宮城と言えば、日本三景のひとつ「松島」。震災後いち早く復旧し、観光客が戻ってきているというので訪ねてみました。生まれて初めての松島。完全復活しているような賑わいでしたが、それでもまだまだ人出は少なく、例年の半分程度とのことです。見どころは何と言っても、松島湾に浮かぶ260あまりの島々。さっそく遊覧船乗り場へ行くと、券売所は津波の被害で仮設のプレハブになっていました。船が出発するや否や、まず最初に驚いたのはカモメの大群。カモメのお目当ては客が船内で買って与える餌(えびせん)でした。
「ピャーピャー」と鳴いておねだりするこなれたカモメたち。今年は客が少ないなあと言っているようでした。この日はあいにくの曇りでときどき雨も降り、海は黒く空はグレー。晴れていれば海の青と松の緑がそれはそれは美しいに違いありません。次は、晴れた日にまた訪れたいと思います。
石巻川開き祭りでの一期一会 〜商店街復活にかける思い〜
7月31日、8月1日。石巻市で行われた川開き祭り。今年は開催が危ぶまれたようですが、人びとが一丸となり、鎮魂と復興への祈りをこめて実施されました。
祭りの夜、簡易なベンチに座って人びとが見ていたのは、建物の壁をスクリーンにして写し出された映画でした。映画を見ながらほんわかと和んでいる人びとを見て、「そうだよな、こういうものも必要だよな」と。それ以上のことは言葉にならないけれど、温かい気持ちになりました。
この映画上映会は「石巻2.0」というプロジェクトのひとつとして行われました。その中心となって活動する阿部久利さんからお話を伺うことができました。すると、映画を上映しているその場所は、かつて阿部さんが経営していた旅館のあったところだと言います。阿部さん自身も大変な中、もう一度地元の商店をよみがえらせて石巻の復興につなげたいという熱い思いが伝わってきました。
ライブハウス:旧La Strada/演奏「越路姉妹
また、倒壊を免れた建物の中で営業しているライブハウスでは、たくさんの人が熱狂していました。誰もが、気持ちを切り替えるための何かを、気持ちを奮い立たせるような何かを求めているのだろうと感じました。友達とお茶をする、音楽を聞く、仕事終わりにビールを飲む…そんな日常を取り戻しつつある東北のエネルギーに圧倒されました。