甲子園

夏、故郷を想うのはお盆甲子園
WEBマガジン「福祉広場」連載 千代野ノート第332回 ☆08/15更新☆から転載

  連盟が出場校決める春の選抜と違って、全国各地の予選を勝ち抜いての甲子園出場となると、全国全ての市町村の眼が当然甲子園に注がれ、高校野球で全国が一体化すると言うのは少し大袈裟か。しかし、負ければ終わり次戦がないという、退路を断ち切られたトーナメント方式は確かにスリルを倍増する。
 今夏、故郷・唐津から商業高校が27年ぶりに出場。母校ではないが当時唐津市に4校しかないうちの1校。普段佐賀県は他市町の高校出場で、早い話、唐津高校野球は弱く、甲子園には縁がなかった。かくゆう母校・唐津東高は、100年以上の歴史は持つが、ただの1回も出場した事がない。と言う事は、唐津の高校がこれから県予選を勝ち抜いて、甲子園に出場するというのは将来的な確率として非常に低い。次の応援機会はいつかと考えると、今しかないと即決。幸い3年前から関西同期会もあり、1回戦快勝を受け、2回戦(8/13)の応援に、熱中症対策を万全にしての妻を連れて、同期生とスタンドに陣取った。
 ゲームは、「あの」江川卓氏の作新学院との対戦。先制したが逆転され最後のバッターまで勝負はわからなかったが結局惜敗。我々の前試合が都会の高校(東京・帝京)を田舎の高校(滋賀・八幡商)が痛快な逆転劇で開始が遅れ、開始まで入口で1時間以上待たされた。こんな時は、妻にはさすがにオムツパットを装填しているが、それ以上の熱中症対策。水、帽子、日傘と万全のつもりでも心配。さすがの開始前「お父さん、シンドイ」にはギクとする。それでも入場して、売り子の飲食物でごまかし元気そのもの。6回に「お父さん、オシッコ」。球場スタッフの案内でクーラーの効いた特別な身障者トイレへ。
(ヘェ〜、さすが甲子園と感心)
 広い球場で唐津の球児たちは躍動した。
一方佐賀県知事は、「九電やらせメール」の四面楚歌で動けない。県内で原発有力ゼネコンファミリーの玄海町長もダンマリを決め込む。全国の眼が甲子園に注がれ、これまで私など故郷を「博多から西50キロ、虹ノ松原など風光明媚で魚が旨い町」と紹介していたのに、この人たちのために「玄海原発圏内東16キロの町」と言い換えねばならない。
 そしてここ京都市では、16日の大文字送り火での、陸前高田市の薪をめぐっての、ぶざまな対応に明け暮れている。
富田秀信(労協 国際ツーリストビューロー理事長)

筆者紹介
1996年春、妻の千代野さんは(当時49歳)、急激な不整脈による心臓発作で倒れていた。脳障害をきたし、何日か生死の境をさまよった。「奇跡的」に一命を取リとめたが、意識(記億)障害で失語、記憶の大半を失った。京都の東寺の前に住み、神戸の旅行会社に通う。数多くの市民グループの事務局長をつとめるが、その場に千代野さんの姿がよく見られるようになった。