南京・揚州、鎮江5日間の旅

宋 敏(SONG MING)
その1
 9月27日から10月1日まで、日本中国友好協会兵庫県連合会様主催の「南京大虐殺の歴史をたどる平和ツアー」の添乗に行ってきました。
南京を訪れるのは今回で2回目ですが、中国の歴史については、分からないところがまだまだたくさんありますので、知識を更に深めて来ようと思いました。
1日目 9月27日(火) 
中国東方航空534便、12時20分に出発、約2時間20分の東シナ海の空の旅で、定刻通り南京に。南京のガイド(張さん)が到着口で迎えてくれました。
南京は江蘇省の首都であるとともに江南エリアの政治経済の中心となっています。更に、北京、西安、洛陽と並ぶ中国4大古都のひとつです。その歴史も古く2500年前から越王が呉を滅ぼした後、現在の中華門の西南に越城を建築したことから始まり、東呉、東晋、宋、斉、梁、陳、南唐、明などの10の王朝がここに都を定め、近代では中華民国臨時政府の首都も南京だったそうです。
さっそく、2006年12月民間が作った「南京民間抗日戦争博物館」を見学することに。博物館の入り口では中国共和国国歌「義勇軍進行曲」が迎えてくれました。曲に合わせて、お客様をはじめ、博物館のスタッフ、ガイドさんと中国国歌を歌い始めました。本当に懐かしかったです。博物館を見学後、虐殺の跡地である「幕府山」と「下関」の慰霊碑に向かいた。
それから、夕食会場へ向かい、南京料理(本場の南京ダックなど)を堪能しました。
ホテルにチェックインしてから、お客様と南京の繁華街である「湖南路」に地下鉄でいくことに。南京では初めての地下鉄で、迷いながら、やっと目的地にたどり着き、食べ物や雑貨、お土産さんなどなど、どこもたくさんの人が並んでいます。また、ひとつ勉強となりました。忙しい第1日目が無事終わりました!
2日目 9月28日(水)
朝食後、「南京攻防戦」の激戦地「中華門」へ。中華門は中国に現存する最大の城門で、城門数13の南京城の正門として造られています。幅118m、奥行き128mもある巨大な城門で、清代に再建され、ここで数々の戦いが繰り返され、1930年代に日本軍もここで中国国民党軍と戦いました。1980年以降整備が進められ、現在は城門の屋上まで上ることができ、南京の町を眺めるのは一興です。
そして、重要な戦略ポイントで激戦地だった雨花台へ。
雨花台という名は1400年前の梁朝の時代、古雨花台で雲光法師が唱える経文を聞いた神様が感謝の意を表すために花を雨のように降らせたという伝説に由来しています。古雨花台の付近で採れる色とりどりの美しい石は雨花石と呼ばれています。
また、太平天国軍と清軍は何度もここで戦闘を行い、辛亥革命でも戦いの場となった。さらに、国民党が刑場としていたところで、10万人以上の革命家が犠牲となったといわれています。
午後からは、日本軍の侵攻から中国人と諸外国人の人々を守るために尽力した、国際安全区委員長「ジョウ・ラーべ」と国際安全記念館を訪問。また、南京市民を治療した、鼓楼医院歴史記念館、多くの市民を収容した金陵女子大学(現南京師範大学)なども訪問しました。
夕食は、表敬訪問した江蘇省人民友好協会で、夕食交流会となりました。

日中友好協会兵庫県連合会前田会長と江蘇省人民友好協会徐龍副会長お土産を交換する場面