ドクター安達の沖縄平和旅行記 その7

KokusaiTourist2012-03-18

辺野古
 キャンプハンセン、キャンプシャワブの横を通り、約1時間のドライブで13:45辺野古へ。辺野古港の中を整然と1列に並んで、海兵隊と港を隔離する壁のところまで歩く。[:W300:left]
 当初この隔壁はコイル状の有刺鉄線が張られていて、門限過ぎて基地に戻る兵士達が簡単に乗り越えられるものであったが、その後有刺鉄線柵に変えられ、2011年4月にコンクリート壁に作り変えられたそうだ。TSさんが以前来た時は有刺鉄線柵だったそうだ。壁には多くのリボンが結わえつけられ、全国からの激励の寄せ書きなどが貼られている。1週間に1回はこの貼りものは撤去されるので、また貼りに行くという抵抗を続けているそうだ。この壁の前で記念ショット一枚。
 この辺野古の沖合いが、1996年の日米合意(SACO合意)以来、新しい巨大海上基地の候補地としてあげられ、それ以来17年間テントを張って息の長い反対運動が続けられている。
2004年5月頃のボーリング阻止海上闘争のDVDを見る。ヘリ基地反対協の人々はカヌーや漁船で、海上保安庁や業者の大型船に対抗していく。潜水する海上保安庁のダイバー、辺野古の基地を許すことはイラク民衆の殺人を許すことだと、海保職員に語りかける平良さんの姿…。業者の作業船は、阻止側のダイバーにしがみつかれて動きが取れなくなり、海の中に錨を捨てて逃走してしまう。このような非暴力の闘いが、全国の支援に支えながら息長く続けられている。
本年2月8日、沖縄県の米軍普天間飛行場宜野湾市)の名護市辺野古移設に向け、防衛省が作成した環境影響評価書を審査する県環境影響評価審査会(会長・宮城邦治沖縄国際大教授)は、評価書について「生活や自然環境の保全は不可能」と結論付け、事実上、辺野古移設を否定する内容の答申を県に提出した。それを受けて、20日防衛省に提出した知事意見で、普天間基地辺野古への移設を「事実上不可能」だとして、県外移設を求めている。さらに、評価書が滑走路の建設を「環境保全上、特段の支障は生じない」としているのに対し、知事意見では、「生活・自然環境の保全を図ることは不可能」と結論づけている。また、オスプレイの配備を評価書の段階で初めて明らかにしたことなど175の「不適切」な点を指摘し、「手続きの最終段階で重要な情報を出すことがアセス制度の前例となることに大きな懸念を抱いている」と強く批判している。「審査会で専門的に議論してきた(内容)を県が総合的に判断した形。(政府は)きちっと受け止めて頂きたい」(仲井真沖縄知事)。沖縄県は、海域の埋め立てについても3月末までに知事意見を提出する予定。
このような動きの中、19日田中防衛相が沖縄訪問し、26・27日と野田首相が沖縄訪問予定となっており、普天間移設、辺野古基地建設問題は、今日本の安全保障の問題についての緊急課題となっている。政府は何が何でも米軍のロードマップに沿って事を運びたい意向だ。沖縄と連帯した我々の動きこそが
歴史を動かす。踏ん張りどころだ。
テント村
 14:40テント村へ。2004年4月29日から始まった座り込みは、8年(2639日)を経過し、今日現在2862日目だ。篠原孝子さんからお話を聞く。辺野古周辺のカラー地図パンフを掲げて説明。
 彼女は政治に無関心だったそうだ。2003年のイラク戦争を契機に勉強して、歴史を知れば知るほど本土と沖縄の違いに愕然とした。本土の人間として加害しているのではないかと思うようになったと。
 ボーリング調査のやぐらは、2004年12月についに撤去させた。
大浦湾は、1966年に米軍内で同じような設計図ができていた。辺野古の代替え施設として急に浮上したものではない。米軍が欲しがっていた海軍基地を日本がつくってくれる。アメリカは防衛費削減で、2万人の海兵隊員を削減する。日本の自衛隊に一部肩代わりさせたい。
自衛隊も使いたい。日本も外務省と防衛省は策略をめぐらしている。辺野古に1兆円の投資、大手ジェネコンが利権を狙っている。1558億円の思いやり予算を使っている。
基地がある故の事件は年間150件、事故は100件起きている。県民は80%が辺野古移転に反対している。基地があるから日本が守られている? そうではなくて基地があるから攻撃される。9.11テロ後、沖縄の観光客が激減した。それは沖縄には米軍基地があるから。テロの攻撃にあう可能性が大きいから。
沖縄は基地がないとやっていけない? いやいや、保守陣営の試算でも基地返還で経済や雇用が増大すると結論付けている。名護市は、400億円の補助があるのに、失業率も悪化し、生活保護世帯も増大している。大きな建物はいっぱい建ったが、住民の暮らしはよくなっていない。一部に恩恵を受けたものがいる。名護は不健康になっている。軍用地収入が人をダメにしていく。家族内でお金の取り合いでけんかになる。辺野古は、それまで住民は仲がよかったのに、分断された。賛成・反対で夫婦の意見も割れて離婚する人も。
 普天間辺野古など米軍基地の問題は、沖縄だけでなく、日本全体の問題。私たち本土の人間がこの認識を広げていくことが大変重要です、と強調された。
テントに置いてあった本を一冊購入する。「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていることー沖縄・米軍基地ガイド」だ。帰って読んでみたがとても参考になる本で、沖縄米軍基地のすべての写真と基地のあらまし、その歴史が初心者にも分かりやすいように書いてある。
ホテルへ向かう
 15:30辺野古を後にし、宿泊先へ向かう。キャンプシャワブの中の道を通っていく。実弾射撃場の久志岳、山肌が露わになっている。平日は実弾の音が聞こえるそうだ。ここの海兵隊イラクのファールージャで虐殺した部隊。平和委員会の佐久間さんが、ゲート前で監視している時、アメリカ兵から話しかけられた。彼は明日イラクへ行くという。そこで、佐久間さんは普通ならイラクへ行って住民を殺すなと言うところ、「死ぬなよ」と答えた。兵士は泣きながら基地へ帰っていったそうだ。
アメリカ兵は一人ひとり見ると悪い人間ではない。もともと食いッぱぐれの人が兵士になっているのだ。しかし、軍隊に入ると殺人鬼に変えられる。白人の兵士はあいさつするが、黒人と女性兵士はあいさつしないと、与儀さん。日本はアメリカの出撃基地です。アメリカは決して日本を守っているのではありません。16:15一時停車し、ここで与儀さんとはお別れ。バスは、宿泊先の沖縄海洋博が行われた場所のすぐ隣にあるチサンリゾート沖縄美ら海へ向かう。
ホテルで夕食交流会そしてカラオケ
 16:40予定より早くホテル着。すぐ向かいに伊江島が見える。各自部屋が割り当てられ、夕食まで自由時間。しかし、小雨と曇り、雨であたりを散歩する気にもなれない。パソコンに向かっているとTSさんからコーヒーのお誘い。一仕事するからと断わったが、気分が乗らず、いそいそとコーヒー飲みに一階へ。TZさん、TMさんたち数人と談笑する。
 18:30夕食交流会。班毎にテーブルを囲み、ひとしきり食べた後は、この2日間の学びについて、各人が感想を述べ合う。 
そして1人が代表して各班ごとのまとめを発表する。ひめゆりの宮城さんのお話「戦争がなったからこれまで生きて来れた」にしみじみ感心した、「百聞は一見に如かず。やはり現地に来ないと分からないことが多い。本土にいては報道も偏っている。沖縄を身近に感じることができた」など、若い人の感想が新鮮だ。
 21:30終了。この後カラオケでさらに楽しむという。僕もカラオケは好きな方だが、自室に戻って原稿書きをする。24:00頃寝入ったようだ。