“封じられた原発事故の説明” ○○"Aufklärung soll verhindert werden"

以下は3月のシュルツ氏滞日10日間全行程同行通訳の田口様による和訳です。
バーデン新聞のインタビュー:『バーデン・アルザス市民組織』代表のエアハルト・シュルツ氏、日本旅行について語る。
BZ-INTERVIEW: Erhard Schulz, Sprecher der badisch-elsässischen Bürgerinitiativen, berichtet über seine Japanreise.
写真 シュルツ氏を歓迎する日本のグループ。
MÜLLHEIM. Zur heutigen Mahnwache des deutsch-französischen Aktionsbündnisses "Fessenheim stilllegen. Jetzt!" berichtet Erhard Schulz von einer Informations- und Vortragsreise nach Japan. Der Mitgründer und stellvertretende Vorsitzende der Innovation Academy Freiburg war von der Japanischen Demokratischen Ärztevereinigung zum Jahrestag der Katastrophe von Fukushima eingeladen worden. BZ-Mitarbeiterin Dorothee Philipp sprach mit ihm über seine Eindrücke.
BZ: Wie ist diese Einladung speziell an Sie zustande gekommen?
Schulz: Im Jahr 2011 hatte ich von der Innovation Academy her, die ich mitbegründet habe, eine Ärztegruppe aus Japan zu betreuen, die sich hier informieren wollten. Den Ausschlag gegeben hat meine inzwischen 40-jährige Erfahrung mit Aktivitäten gegen die Atomkraft, die auch erfolgreich waren. Ich nenne nur die Stichworte Breisach und Wyhl.

ミュールハイム発:今日行われるドイツ・フランス合同デモ『ストップ、フェッセンハイム原発!』において、エアハルト・シュルツ氏は日本の講演旅行について報告する。『フライブルク・イノベイション・アカデミー』の設立者の一員であり、副代表でもあるシュルツ氏は、福島震災一周年に際して、日本民主医療連合から日本に招待された。バーデン新聞記者ドロテア・フィリップは、日本の印象についてインタビューした。

BZ:どのような経過で、あなたへの特別な招待が実現したのですか。
シュルツ氏:2011年に、私の属する『イノベーション・アカデミー』から、ドイツを視察する日本の医師グループを迎えてもらいたいという依頼されました。私の40年に渡って原発に対して戦い、さらに成功を収めたという経験から、その任が私にまわってきたのです。キャッチフレーズとして、ブライザッハとヴィールをあげられましょうか(注、シュルツ氏たちが原発建設計画を止めた場所)。
以下和訳のみ
BZ:あなたは、反対するだけでなく、エネルギーシフトを成功に導く方策も示しました。
シュルツ氏:1976年に、私は、ヨーロッパで初めてのエネルギー見本市を、ザスバッハで、つまり、当時、原発建設予定地であったヴィールのすぐ近くで開催しました。この見本市は、その後毎年行われ、後に会場はフライブルクに移されました。私は、また、ドイツ最大の環境団体BUNDでも、25年間、責任者を務めました。その間、様々な活動をしてきました。日本からの訪問者は、そうしたことに興味を抱いていたのです。つまり、反対するだけでなく、どうやれば行動すればよいかです。
このようないきさつから、彼らは私を講演者として招待してくれたのです。

BZ:日本で何を見ましたか。
シュルツ氏:原発事故の立ち入り禁止地域にも行き、その近辺のいくつかの村を訪問しました。そこで、今はコンテナに住み、3、4年以内には、再び自分の村に戻れると言われている人々と話をしました。しかし、それは嘘で、そこで測定されている放射能値からも、もう村に戻れないということをはっきりと告げるべきです。以前は裕福だったが、75頭の牛、50頭の馬を失い、生計の目途を失って絶望の淵に追いやられている農夫とも話しました。この地方では、自殺率も増え、人々は、大変つらい思いをしていました。

BZ:震災1周年の日に、1万人の前で、演説をしたとも聞いています。
シュルツ氏:それは、私にとっても、大きな経験となりました。ヨーロッパ人ということで、いくつかに関して、日本人が言えないようなこともはっきりと言いました。政府と東京電力は、マフィア的なやり方で、事故の客観的説明をしようともせず、今後も原発を使用しようとしています。デモは、大変美しい公園で行われ、子ども、着物を着た踊り手、太鼓を叩く人といったように様々な人々が舞台に登場しました。人々は、政府の方針に「ノー!」という力を、伝統的文化から得ようとしているようです。インターネットも大きな役割を果たしています。年配の人々も、日本では、インターネットを大いに利用しています。

BZ:日本人は、ヨーロッパの原発反対運動を見習おうとしていますか。
シュルツ氏:ヨーロッパのメディアが報道する内容は、正確に把握されています。驚いたことに、バーデン新聞の原発に関する特集が訳されていて、インターネットでもそれが見ることができます。ヨーロッパの新聞報道から、教会も原発に反対するデモを支持しているというようなことも知っています。最近では、日本でも、仏教関係者が『自然破壊』ということで、原発反対を表明しています。こうしたことは新しいことで、人々が権威に逆らう時、宗教がそれを支持すると助けになります。

BZ:何か勇気づけられるような事柄を経験しましたか。
シュルツ氏:大阪の南、四国という島で、梼原町という小さな町に行きました。そこでは、再生可能エネルギーに関するあらゆることが行われていました。風力発電が2基、公共の建物の屋根にはソーラー設備が、水力発電、ペレット工場、そして地熱発電まで行われています。そこでの市民の活発な活動、そして行政の運営に大変感銘を受けました。大変印象的でした。デモでは、それについて報告したいと思います。古くからの神楽でもてなしを受けましたが、言葉に尽くせないほど印象的なものでした。

月曜デモのお知らせ:ドイツ・フランス合同アクション『ストップ、フェッセンハイム!』は、今晩6時から、ヴェーダー通り、貯蓄銀行前で行われます。

エアハルト・シュルツ氏について
66歳、ブランデンブルク出身。ヴィリンゲンで高校終了試験を受け、フライブルク大学で化学を学ぶ。1976年、BUNDの州責任者になり、それ以来、さまざまな環境団体・組織に関与。エメンデンゲン在住。2004年に、『フライブルクイノベーション・アカデミー』を共同設立し、持続可能社会に関する分野についての専門的視察、旅行、セミナー、ワークショップなどをオーガナイズしている。2011年には、世界45ケ国から6000人の訪問者を記録している。『バーデン・アルザス市民組織』の代表でもあり、風力エネルギー連盟の州副委員長でもある。彼自身、7基の風力タービンを共同所有している。