「山宣」、無言館、ちひろ美術館の旅

画者・添乗員 富田秀信
 8/23(土)〜24(日)の一泊二日でを45名の京都の皆さんと行って来ました。
 7:30に大型観光バスで京都駅八条口発。トイレ、昼食休憩挟んで、予定通り午後2時前には安曇野ちひろ美術館着。夏休みの土曜日で一杯の人人…、特に親子三世代で「ちひろの絵」に見入る姿が目立ちました。

 次にバスは1時間20分で安曇野から別所温泉へ。
ここに、京都・宇治出身の政治家・山本宣治の碑があります。(通称「山宣」、生家は宇治・花やしき浮舟園で、現在も名門料理旅館)
 1929年3月1日地元農民らの熱望でこの地を訪れた山宣が講演3日後残した言葉が「山宣独り孤塁を守る。だが私は淋しくない。私の後ろには多くの大衆がいるから」。この翌日、帝国議会治安維持法の無法性を訴えた夜、東京の宿舎で暴漢の凶刃に倒れました。この死に上田の農民たちが敬愛を込めて碑を建てますが、破壊命令が出ます。

 しかし、地元旅館(柏屋別荘)の主人が裏返して庭に埋め、39年間隠し通しました。現在は、山宣を上田に招いた京都大学出身の作家・高倉輝、碑を守った里の人と並んで建っています。
 これらを案内していただいた長野山宣会の方々との夕食交流会では、参加の宇治山宣会の皆さん初め、いろんな交流が出来ました。
 翌日午前中、戦没画学生の作品が並ぶ無言館へ。館主は窪島誠一郎(父は作家の水上勉
戦争で自らの命は絶ったが、その命を絵の託した多くの画学生…。

 この無言館のミニ展示館があるのが、全国でただ一つ、京都(立命館大学国際平和ミュージアム)です。昼食を済ませ午後1時に一路京都へ。午後7時過ぎ京都駅着。
 今回のバス行程以上に、上田(「山宣」、無言館)と京都の深い軌跡と因縁を感じた帰路でした。
 更に嬉しい事には帰路の車中で紹介した、「10/25京滋組合員のつどいIN近江八幡」企画に3人参加、加入訴えた「労協・国ツー」に2名の新規組合員が誕生しました。