湯川秀樹の書簡、詳細判明 戦争「心が悲しくなる」 

京都新聞デジタル版より

湯川秀樹吉井勇に送った、1947年1月22日付の書簡(京都府立総合資料館提供)
 湯川秀樹吉井勇に送った、1947年1月22日付の書簡(京都府立総合資料館提供) 日本人で初めてノーベル賞を受賞(1949年物理学賞)した物理学者の湯川秀樹(1907〜81年)が、交流のあった歌人吉井勇(1886〜1960年)に宛てた、太平洋戦争末期から敗戦2年後にかけての書簡6通の詳しい内容が8日、判明した。
 「わびしさは太綱引きて埃立てどうと倒るゝ家を見る時」と、自宅があった当時の京都の荒廃ぶりを短歌に記し、「心が悲しくなる」と述懐。研究者は「戦争の時代を生きた等身大の湯川が見える貴重な資料。悲しみを繰り返してはならないという、平和への強い思いが伝わってくる」と話している引用以上
 湯川博士が詠んだ詩“まがつびよ ふたたびここに来るなかれ 平和を祈る人のみぞここに”の歌碑が広島平和公園の入口にあります。博士夫人のすみさんに依頼されて、この詩に曲を付けたのは、元タカラジェンヌの諏訪あいさん。ご主人は同業者で兵庫県旅行業協同組合の理事長を務めていたが、4年前理事長を退く組合総会の日の早朝に帰らぬ人となられた。そのお嬢さんの諏訪さきさんは、その悲しみも癒えない1ヶ月後宝塚音楽学校99期生に見事合格、2代続けての宝塚歌劇団への入団を果たし、いま雪組で頑張ってる。