安倍首相の番記者が高級寿司で接待され“ごっつあん忘年会”


 下っ端の番記者ともズブズブの関係
 「内閣記者会の懇談会は安倍首相になってから格段に豪華になりました。去年は有名寿司店のケータリングがあり、腕利きの板前が握りたてのトロやイクラを振る舞ってくれました。公邸お抱えのシェフが切り下ろしてくれたローストビーフは、とろけるような食感でしたね。政治家の政治資金パーティーで出されるホテルの料理より何倍も美味でした」(前出の記者)
 安倍首相の正面にはスマホで写メを撮ろうとする記者が喜々として列をなし、実際、ある大新聞の記者と安倍首相のツーショットを見せてもらうと、家族みたいに仲むつまじい様子だった。
 さらに驚くのは、これらは全てタダ飯、タダ酒ということだ。首相官邸に問い合わせると、「懇談会にかかる経費は全て国費で賄っております」とあっさり認めた。
 つまり、番記者たちは国民の税金で飲み食いしているということになる。
 政治評論家の伊藤達美氏が言う。
「権力者である首相と取材する側の記者には、適切な距離感と緊張感が必要です。懇談会はいいとして、かかった飲食費を官邸と記者で折半するとか、会費制にするとか、いくらでも方法があるはずです。“全てご馳走さま”ではなれ合いの関係に陥り、政権に不都合な話が書けなくなってしまうと誤解されても仕方ないと思います」
 権力と闘っているフリをして世論誘導しようとするごっつぁん記者のタレ流し報道を信用していると、この国はトンデモないことになる。
以上日刊ゲンダイから 
 大手メディアの連中は、政治家などの取材先はお得意様の感覚で接してるんだろうか。機嫌を損なわないようおっかなびっくりで、嫌がる質問はしない、言いたいことのみの取材。
 でも、考えてみたら、世の常として、企業の取引の場合、お得意様は接待されて高価なものを"買わされる"のに、かれらは、その「お得意様」に接待されてるわけだ。この場合も世の常ならば、接待側は接待費用以上の高額の価値を手にいれなければならないはず。それは、金子(きんす)ではないが、権力にとって莫大な価値のある"御用記事"ということ。そんなことくらい、新入社員でもわかること。だとすれば、ホントなら莫大な価値を提供してるのだという"取引意識"でもあれば、もっと毅然として取材できるはずだけど…
 ただ食い、ただ酒だけで卑屈になってるわけで、これは企業間取引としてもありえないことで、身も心も権力に自ら進んで捧げてしまった"奴隷"以下と言わざるをえない。その姿は、崇高な責務であるジャーナリズムの精神を奪われた者の行き着く先がいかにその反対物であるかを証明している。(ブログ編集者 T.MATSUOKA)