南京の歴史に学ぶ4日間の旅

5月3日〜6日まで、私が企画した中国平和ツアー「南京の歴史に学ぶ」の添乗に行ってきました。宋 敏(SONG MIN)

行程:5月3日(火) 中国東方航空2860便にて南京へ、着後専用車でホテルへ
5月4日(水) 侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館、虐殺の跡地「幕府山」、「下関」、革命の父孫文が眠る「中山陵」、明の初代皇帝の陵「明孝陵」  

5月5日(木)多くの南京市民を収容した「金陵女子大学」、清代の大富豪の邸宅「甘家大院」、南京攻防戦の激戦地「中華門」、昔ながらの南京の街並みが残る「夫子廟」、江蘇省の歴史など展示されている「南京博物院」
5月6日(金)日本軍の侵攻から中国人と諸外国の人々を守った「ション・ラーベ」と「国際安全区記念館」、南京市民を治療した「鼓楼医院歴史記念館」、中国東方航空2859便にて帰国/span>



 戦跡については、まず「侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館」を訪問しました。記念館は更に大きく拡大され、1日でも足りないくらい広かったです。約3時間で見学しましたが、時間が全然足りませんでした。また、虐殺の跡地「幕府山」や「下関」、そして多くの南京市民を収容した「金陵女子大学」、日本軍の侵攻から中国人と諸外国の人々を守った「ション・ラーベ」と「国際安全区記念館」、南京市民を治療した「鼓楼医院歴史記念館」なども訪問しました。改めて「平和」(中国語では「和平」)っていう言葉が胸に刻まれます。
 今回の旅は天気にも恵まれ、お食事やホテルなどについてよかったですが、行きのフライトは約1時間半遅れ、帰りは約5時間半遅れました。中国の飛行機はいつものことですが、今回は特に遅かったです。関西空港に着くのは遅くて、お客様がそれぞれタクシーで帰宅され、本当に大変でした。
 今回南京を訪れるのは3回目ですが、南京の戦跡については、まだまだ知らないことがたくさんありました。これからもっともっと勉強しなければなりません。
 また日本と中国の架け橋になる為には、これまでの経験を生かして中国平和ツアーの企画を更に続けたいと思います。
 中国平和ツアーにご参加の皆様との出会いは私にとって「宝物」です。この宝物を大切にしたいと思います。またいつもご協力とお応援して頂いたお客様に心から感謝申し上げます。これからもどうぞよろしくお願い致します。

南京大虐殺記念館」とは
 1937年7月7日、日本軍国主義は盧溝橋事変を起こし、全面的な中国侵略の戦争を発動した後に、同年8月13日、日本軍は上海を攻撃し、上海を南京攻略の第一歩としました。11月12日、日本軍は上海を占領し、その後、兵を三つのルートに分けて南京へ向かい、12月13日、日本軍は南京を占領したあと、公然と国際公法に違反して、武器を手放した兵士と身に寸鉄も帯びない平民たちを大量虐殺しました。
その期間は六週間にもわたり、犠牲者総数は30万人以上にも達し、その期間に、南京の三分の一の建物が破壊され、市内で起こった強姦輪姦などの暴行は二万件以上にのぼり、数多くの国家財産と個人財産が略奪され、文化の古都は空前の災禍に見舞われ、南京城は人間地獄と化していました。
この世のものとも思われない悲惨なこの歴史事件は、日本軍が中国侵略期間中行った数え切れない暴行の中でも、もっとも際立った代表的な一例であり、この大惨禍は永遠に人類の文明史上に記されるであり、ここに展示されている写真、資料、映像と実物はすべてゆるがぬ歴史的証拠である。」と記されていました。