終戦・被爆60年の、節目の日に旅行業界から…Ⅰ

日航ジャンボ機墜落から20年、阪神淡路大震災10年、沖縄へり墜落1年ー

1.節目に立って考える
 1945年8月15日、日本がアジアの人々と日本の国民に癒えることのない損害を与えた侵略戦争終結した。85年8月12日、日本航空機が、群馬県多野郡上野村御巣鷹山 (おすたかやま)の尾根に激突し、520人が死亡するという、 わが国航空史上最悪の惨事を引き起こした。95年1月17日、未曾有の大災害をもたらした阪神淡路大地震が発生。そして、昨年の8月13日、沖縄国際大学本館に米海兵隊所属ヘリコプターが接触し、墜落炎上するという大惨事が起こった。普天間基地の返還合意から来年で10年。
 それぞれが節目の時期を迎えている。しかし…
 今年に入って、日本が犯した戦争をやむを得なかったと描きその立場を教科書にまで持ち込もうとする動きが執拗に繰り返されている。そして、空の安全は相次ぐ事故、ミスで急速に脅かされている。地上では、儲け本位で安全コストを顧みないJR西日本によって107名にも及ぶ命が一瞬にして奪われた。民営化の危険性を目の当たりにしても、「郵政民営化」を解散・総選挙という暴挙でごり押ししようとする。普天間基地の返還が未だに実現しない沖縄では、米軍による事故、犯罪が後を絶たない。

2.現在の世相は…
 政治は退廃の極み。列島騒然となった「年金改革国会」は去年のこと。未だに中身の議論はない。アメリカのイラク開戦の大義の無さが完全に明らかになっても、米英に追随して無条件支持しイラク派兵までしている責任を取ろうとしない。今また、緊急性も必要性も全くない「郵政民営化」をごり押しし、否決されるや、総辞職でなく開き直って解散に打って出、分裂選挙辞さずを咆哮している。まさに、現政権は退廃の極みに達している。こうした政権不適格者を退場させ得ない保守勢力は当事者能力をもはや喪失していると言わざるをえない。マスコミは全体として、これらのことをワイドショーとして扱っていると言わざるをえない。 一方、大企業や警察、自治体を含め政官界のトップがテレビのお詫び会見で頭を下げるのを見ない日はない。経済界、企業間での競争を受けて弱肉強食、優勝劣敗を当然視する社会的風潮が助長されている。凶悪事件の低年齢化や猟奇事件が多発している。背景として政治や経済の退廃とともに、これらを庶民の立場から指弾できないマスコミの機構全体としての堕落も影響を受けているのか。

3.建前と本音…その1
 最近の世相のもとで、「建前と本音」について考えてみたい。
政治、経済の世界での「建前」は立派。年金改革はあくまでも「国民と日本の将来のため」。イラク戦争は最後に開き直った言い訳すら「独裁排除・民主国家への支援」である。航空会社、JRも「安全第一」を口にする。「郵政」も「建前」は「国民資産の保護」となる。
 一般的には、「建前」と言われる水準は国民のたたかいによって作り上げてきたもの。為政者はとりあえず本音をおいて「押し付けられた建前」を標榜し実現のポーズを取らざるを得ない。言ってみれば、「建前と本音」は乖離していて当然で、国民のたたかいが強まれば「建前」は高く、実現性は大きくなり本音とはますます乖離する。逆に国民のたたかいが弱まれば、建前は引き下げられるだけでなく、まさに言葉通りの“実行しない、いわゆる建前”にされてしまう。
 最近の政治、経済は、「建前」がどんどん引き下げられる一方、建前であるとしても、「コンプライアンス」とか「CSR(Corporate Social Responsibility)」とかをいかにも流行語の如く吹聴する傾向もある。
 しかし問題の一つは、建前がただ引き下げられるに止まらず、本音を堂々と主張し実行するーいわば建前に本音が事実上収斂されるのでなく、建前を本音に収斂してしまうーこうした動きが、とりわけ経済界に露骨になってきたこと。もちろん、正面切った大闘争によって、逆に本音を引っ込めさせて建前を実現させた流れも少なからずある。(松岡武弘)