テレビと政治と娯楽ー「朝日」夕刊から

最近、久しぶりにナットクの記事にお目にかかりました。常々思っていたことを言っていただいてスッとしました。長文ですので一部カットの上転載させていただきます。
3月1日朝日新聞夕刊“思潮21”東京大学教授 山内昌之氏『テレビと政治と娯楽』から 
転載はじめ
(前略)…荒川選手ほど心技体兼ね備わったアスリートも少ないだろう。美と凛としたたたずまいをもつ彼女の魅力をリアルタイムで視聴者に伝えられたのは、NHKの実況中継が落ち着いた報道と解説に支えられていたからだ。…(中略)…テレビ番組の中には、スポンサーから期待される娯楽性や一部視聴者の主観的な思い込みに迎合するあまり、多様な物の見方やマスコミから離れた領域での経験など公共性の原則を無視する傾向も見られる。
 トリノ五輪では選手の実力を冷静に分析せずに、蜃気楼のような人気を持ち上げる事前報道が目についた。…(中略)…この原因の一端は、スポンサーの比重が増大しがちなスポーツの世界も限りなく芸能界に近づいている点と無関係ではないだろう。キャスターや芸能人がニュース番組とワイドショーの渾然一体となったような番組で選手や競技をもちあげているうちに、実と虚の区別がつかなくなり、メダル量産の幻想にひたってしまったのかもしれない。
 …(中略)…マキャヴェッリの金言は、ホリエモンの事件にもあてはまる。彼を改革の旗手にして少年少女の理想像でもあるかのようにもちあげた最初の責任は、政治家以上にジャーナリズム、特に一部のテレビだったことを忘れてはならない。。…(中略)…もしテレビに個人の派手な行状にとらわれない洞察力と大局観さえあれば、ホリエモン氏とその経営の歪みに気づいたはずではないだろうか。この判断は良識と直感の領域に入るのであり、テレビの取材力の劣化は反省されなくてはならない。…(中略)…あるキャスターは政局が自分のスタジオで作られると自慢げにかたったことがある。しかし、そろそろテレビ報道に必要なのは、煽情的なジャーナリストでなく、「本当にすぐれたジャーナリスト」であろう。
…(中略)…他方、テレビに露出したがる政治家はキャスターと同じくらい、職業に対する倫理的な自覚の点で、心情だけでなく責任に基づくことが要求されるはずだ。しかし、有権者を含む視聴者が多様である以上、政治家にも思想信条や政見の説明能力ではなく、芸能人や評論家じみた瞬間的な対応能力と「キャラクター」を重んじる傾向も強まっている。
 現実に、最近のテレビには芸能人たちが仕切る政治討論じみたバラェティ番組が現れるようになった。芸能との敷居がはっきりしない番組で軽い言葉を発することに慣れすぎると、政治家として国会や選挙での発言にも悪影響が出てくるのではないか。この緊張感の欠如こそ、永田議員がホリエモン・メール事件で驚くほど準備不足の軽い発言を国会でおこない、民主党を苦境に追い込んだ一因でもあろう。
…(中略)…選挙をかかえる政治家にとって、知名度をあげるテレビへの登場も大事であろうが、距離感とけじめをわきまえてほしいものだ。個性的なキャスターに頤使され、お笑いタレントに揶揄される政治家を、さながら古代ローマの「パンとサーカス」のように娯楽として眺めているとするなら、政治を混迷させる責任は視聴者たる国民の側にもあるといえよう。転載終わり。