60回目の2月20日に想う… 

KokusaiTourist2006-03-06

 50代の残り日数を数えていたらあっという間に20日になった。ついに60歳!信じられない。60歳というより60代になったことに衝撃がある。50の時も人生50年かと感慨を覚えた。10年経った。短かったようにも思うけど、どちらかというと50は遠い昔のように思う。この10年が一番しんどかったからなのか…?95年の震災からの10年とかぶさってるからか…?経営の厳しさから社員に大変な苦難を強い、今も続いてることがやっぱり一番大きい。
 それと健康問題。もともと学生時代から運動に時間をかけ体力には自信があったのに、震災のときから降って湧いた?ような痺れ。手の痺れはともかく、ホントはそのもっと前から足腰は椎間板ヘルニアで万全ではなかった。去年の6月頃までは回復の見通しも見えずーというより何の努力もせずー緩やかだけど確実に下り坂の日々を送っていた。5年前の頚椎の手術も思うほどの効なくとりあえずは痛み・痺れとつきおうて行かな仕方ないと思っていた。状態は悪くなる一方で、やっぱり手術しかないと、それなりの決心をして行った病院の若い先生に手術よりまずは筋肉を強くして少しでも痛みをやわらげよと言われた。これも今まで何回もいろんな病院で言われてきたこと。しかしこの時は何故かこの若い先生の言葉が素直?に聞けた。それでも何の手も打たずにいた。
 きっかけは「宝塚にフィットネスクラブ出来たよ、行ってみたら」と妻が勧めてくれたこと。毎日乗り換えで通る宝塚。それでも優柔不断の悪い癖でなかなか決断出来なかった。社員のみんなの協力で通い始めて8ヶ月。効果はてきめんと言うべきか…足腰の痛みや痺れは未だでも、それが軽く感ずる日が徐々に増えてきたことは全く確かなこと。駅のガレージからホームまで小走りにかけよと思う日すら出てきた。そうなると意欲も違う。テニスコートに立てるかななんて思いも頭をよぎる。人間は希望を持つことは大事だとつくづく。そんなこんなで長い10年が過ぎた。
 しかし、60直前にまた新しい心配のタネが見つかった。睡眠時無呼吸症候群ー最近時々耳にする言葉、何とそう診断された。それも重症。いくら寝ても朝から頭がボーッとし体の怠さが尋常でなく、昼間からどうしようもない睡魔が襲うので病院で相談すると先生も自信?をもってそれだと!これはまだ原因が不明という。だから対症療法ー寝る時に鼻と口に
マスクを付け空気を送り込み、器械が無呼吸状態を察知すると送り込む空気圧を強くして呼吸回復の気道を確保するというもの。これが大変。緊張してまともに寝れない。一番の休息が休息にならない。器具を付けても付けなくても睡眠の充足感がない。付き合う“友達”がまた増えたか…
 それから最近、加齢とともに人間の不思議を感じる。明らかに余命は短くなっているのに、それに反比例して覚悟は大きく定まって来るようにも感じる。この感情?は何だと思う。諦観の気持ちがでるのは、見方を変えると人生へのこだわりとか執着が加齢とともに鈍くなるという、ある意味では有り難い本能?を人間というのは持ち合わせているということか。
 さらにいえば、最近は、いいか悪いは別にして形やしきたり、秩序などを大事にしようとする性向がチラチラ出てきたような気がする。それに、社会の出来事への喜怒哀楽も強くなったようにも感じる。また、自然の仕組みへの探求心、憧れはいっそう大きくなってるし、知識欲、読書欲もますます盛んで衰えを見せないのは嬉しい限りと言うべきか。
 間もなく結婚35年。妻は私のすぐ後を追いながらも、テニスに精を出しはるかに元気。おとといは息子が結婚決めましたと彼女を連れくる。二人の娘からは還暦おめでとうのメールを貰いこの上ない幸せである。婆ちゃんも米寿を迎えかなりボケが回ってるけど口は達者!?仕事は今月末で丸36年、会社は来年で創業50年。我が兵旅協も30年。23日は記念総会と式典。
 帰宅の車内から携帯メールでダラダラと書き始めて既に日が変わろうとしている。60回目の2月20日が終わろうとしている。かと言って自然の営みは変わりなく繰り返されている。明日からまた一歩ずつ歩き始めよう。還暦万歳!(¥_¥) (松岡武弘)