添乗員報告その①
がんばろう!夕張ツアー 
2007年6月1日〜3日
参加者21名と添乗員1名
*p1写真は参加者の副島様からご提供いただきました
 会社創立50周年記念企画ツアー「がんばれ!夕張ツアー」の添乗を言われたとき、盛りだくさんのコースではあるけれど、一番の目的「夕張市民との交流」が私にとっても、もちろん会社にとっても重要なポイントで、緊張とやりがいを感じ、すぐにひき受けた。
 しかし、訪問して、あまりの夕張のすさまじさをお聞きして、こちらから何も用意することは必要なかったと感じた。ただ、阪神淡路大震災を経験された方や、復興に努力された方たちの経験や記録、住んでいる地域での憲法を守る戦いが交流のなかで見えてきて、ツアー参加の皆様にも「住みつづけられる夕張の再生を求める市民の会」の方たちも、お互いの立場が見えてきたようです。交流内容については夕張元市議の熊谷さんがホームページで述べられていますので、ご覧下さい。
http://www.kumagai-keiko.net/modules/wordpress/index.php?p=22

神戸を出発する前から、北海道新聞夕張支局記者が私に電話をしてきて、交流会を取材する旨を伝えてきていました。実際交流会に遅れてきて、早々に引き上げていったが、その間会場外で色々聞かれたりしたので、交流会内容を全て見ることができなかったので、熊谷さんの記載は有りがたく思っています。
三日目の千歳空港へ向かうバスの中でお一人づつ感想を述べていただいたので、それをまとめたものを最後に記載するとして、このツアーの流れと内容を時間順に報告してみたいと思います。

6月1日(金)
午前7時40分、神戸空港集合。私は始めての空港。こじんまりしている。出来るまでは空港建設反対だったけど、出来てしまったら利用せざるを得ないとお客様もおっしゃっていたように、今回、出発は神戸空港、復路は伊丹着。
時間通り出発し、また時間通り到着とスムーズ。銀嶺バスのガイド・東海林さんが千歳空港で待ってくれていて、49席の大型バスに22名がゆったりすわり出発。
夕張到着。すぐ石炭歴史村へ。北海道で始めての食事に期待していたけど、出てきたのは丼定食。「肉じゃが」のような具だったが、おなかがすいていたので結構美味しかった。お客様も同様だったらしく、殆ど残さず食べられていた。しかしながら、この食堂、我々以外には誰もいない。いくら平日とは言え、広い食堂(レストランではない。ロケーションは良いが)に我々だけなのだ・・・。
ゆうばり観光協会の佐々木さんとドッキングして、夕張観光スタート。
石炭博物館に入ってすぐ200インチ映像「炭山の記憶」を見、黒いダイヤの種々の説明を受ける。2階には炭鉱の歴史展示。北炭夕張炭鉱の様々な職場や生活が展示物や写真でわかる。お客様の質問「これは北炭のことですね」と佐々木氏に聞くも、「北炭」は家も風呂(銭湯)も電気も皆会社持ちだったとの返事。質問の続きとしては閉山時この北炭がどのようなことをしたのか?夕張が借金を背負うようになったのは北炭の問題ではと言いたかったし説明も欲しかったのだが・・・。
次は地下1000メートルのシュミレーション体験へ。国内で唯一の見学炭鉱ということだが臨場感がある。次々と採炭する技術が開発されていくのがわかる。日本のエネルギーをここが担っていたのだという息吹が感じられる。

次に鹿鳴館
説明時、私は別の用事があり、その場にいなかったが、建物から察するに、一般市民とかけ離れた建物であり、夕張で生活する人には無用なもの、階級を意識させる建物であった。

次は、知っている世代にはお馴染みの「幸せの黄色いハンカチ」広場
お客様は青い空のもと、黄色いハンカチが翻っている広場を堪能されたようだ。
予定ではこのあと、メロンドームだったのだが、時間が押してきてしまった。
交流の時間になってしまったのだ。ガイドの東海林さんが曰く「屋根がドーム型をした小さな建物のお土産屋さんで今はメロンも早いので、見るだけ」との事で、社内でお客様に聞くも、皆さん交流会へそのまま行くことに決定。会場の市民会館にはいり、始まったのは丁度予定の16時。それからの2時間はあっという間に過ぎてしまった。岩渕 充我子(続く)