行程

9/12   全日空947便
関西空港→→→→→→→→大連  203高地水師営会見所・東鶏冠山

9/13 中国南方航空3603便
大連→→→→→→→→ハルピン  安重根記念館・七三一部隊罪遺址・東北烈士記念館

9/15    列車T184便
ハルピン→→→→→→→→瀋陽北  平頂山新殉難同胞遺骨記念館開館式典
・撫順戦犯管理所・9.18事変博物館

9/17 中国南方航空8507便    全日空154便
瀋陽→→→→→→→→上海→→→→→→→→関西空港

正直なところ、ここまで日本が、極悪非道の蛮行の限りを尽くしたとは話を聞いていても実際にその現場まで足を運んでみるまで実感がなかったと反省している。
今回の大きなテーマは「平頂山事件75周年記念館開館式典」参加を目的としていた。 平頂山は瀋陽北駅から車で約一時間走った撫順市にあり、撫順は炭鉱がとれるところで、それも質の良い炭鉱で、日本が占領していた。
1932年9月16日、抗日ゲリラがこの村に逃げこんだということで、見せしめのため、村民を皆殺しにし、罪を隠すため死体にガソリンを撒いて焼き、ダイナマイトで虐殺現場を埋めてしまった。虐殺された人々の数は3000人を超えるといわれている。記念館は、その白骨死体現場の上に建設されていて、入館者は、子供を含む白骨が、重なり合っている現場を透明ガラス越しに360度回りながら見ることになる。

2007年9月16日、朝早くからホテルを出発し(AM7:00発)平頂山へ。
記念館広場は、広大な面積で、各所に要人を配置していた。かなり早く着いた我々は、続々と到着する人々を見ていた。現地中国の中学生や高校生、労働服を着た労働者、警察官、軍隊等ありとあらゆる階層の人々が集まってきて整然と並ぶ。我々はVIP扱いなのか、野外式典会場の一番前の場所を指定され、立って並んだ。
司会者や挨拶や講演には全て日本語の通訳が付きここまできたかいがあったと思ったが、内容は

「日本軍の、人道をはずした蛮行によって虐殺された・・・・」の文言が必ず入る。本当に涙が出てくる。
撫順市の市長の挨拶では
 人々に新たな記憶を呼び起こし、再び戦争をしない・・・・
 日本は、いまだ中国やアジアに対して満足のいく謝罪をしていない・・・
 博物館は教育の場・・
・    
     等々、私たち日本人が記憶に刻まなくてはならないことを述べられていた。   

 この式典後、博物館を回り、次は撫順戦犯管理所へ。
ここは戦中日本軍が中国の愛国者たちを監禁し拷問を加えた監獄だったが、戦後、日本戦犯を人道的に取扱い、教育によって新しい人間に再生させることができた奇跡の戦犯管理所。ここで、多くの元軍人たちが戦争の誤りを認め、自らの責任を深く反省することができた。戦犯たちが、のびやかに過ごした姿がそのまま残っている。
現地ガイドが、「自分の親はこの時分、食べるものがない中で、ここの戦犯たちは十分に食べるものを与えられていた」と話してくれた。現に餃子を作っている写真もあった。
中国人を殴り、殺し、残虐行為を犯した戦犯を人間として扱うという行為は出きるものではない。しかしここではその奇跡が行われたのである。
戦犯管理所を出て、瀋陽
9・18事変博物館へ。
 日本関東軍が鉄道を破壊して、中国北東軍の仕業として満州国を設立し、15年に及ぶ占領を行ってきた中国人にとって、屈辱の発端の場である。
内容を十分見ようとすると、一日かかりそうな膨大な資料と広さがある。

9月16日だけでも、相当な内容で、日本人としてこらから何をしなければならないか、また考えなくてはならないかを体感した時間でした。

 記述が前後しますが、もう一つこのツアーで重要な訪問先はハルピン郊外の七三一部隊罪遺址,
日本語で案内していただく。重要な個所は退却する時破壊したので、殆ど残っていないが、日本の高度な技術で作った堅牢な建物は、破壊し尽くされずに残った部分があり、また掘り起こすと様々なものが出てきており、それらが歴史を証言している。
ハルピン市社会科学陰七三一研究所の「金」さんが我々と交流するため来てくださり、話を聞くことが出来た。ここを世界遺産に登録するよう働きかけていることや、黒龍江省より費用が出て、沢山の遺留品を発掘することができたことなどを話してくださった。
この仕事をライフワークとして18年。特にモンゴルや韓国の犠牲者の身元が解らなくて聞き取り調査のため海外へ出張したり、日本へも裁判のため来日されているとのこと。
また、日本で講演もされているそうです。
他にも貴重なところを散策しましたが、あまりに日本人が中国でやったことを知らなさ過ぎることを実感したツアーでした。(私だけなのか?)
日本では社会科教科書にも載らない事が、中国の学生は、おろかな歴史を繰り返さないよう実際に見せて指導され、また平和をアジアの人達と手を繋ぎ築いていこうとする姿勢を目の当たりにし、ますますこのままの日本では世界に取り残されることを実感しました。
今、日本人は海外へ旅行する人口が増えてます。過去の歴史があるから、未来がある。だから是非、中国を訪問し、悲しい歴史も見て欲しいと念じています。
それが、戦争をしない、平和を願う力になると思います。

今回は、団長の歴史の先生が説明を加えてくださり、より深く理解できて実のあるツアーになったこと、皆さんが最後まで体調も崩さず料理などを楽しんでくださったことで、和気あいあいの和やかな雰囲気で終始旅が出来たことが、添乗員にとって本当に嬉しいことでした。(M.IWABUCHI)