藤沢周平の作品と人物に触れて…その1

KokusaiTourist2008-03-28


  いま、藤沢周平とその作品が“志たかく情あつい”歴史・時代作家、作品として新たな注目が集まっています。そうした作品を産み出してきた彼自身のことばを聞けば改めてそのいまの評価と注目が理解できます。いくつかを紹介します。出典は、彼のエッセイ集“ふるさとへ廻る六部は”です。

 私は朝から晩まで、といっても昼は学校に行き、また時には庭を掃いたり家業の農業を手伝ったりするわけだが、そうしたことをのぞいた残りの時間を、ただただ遊び呆けて過ごしたようにおもう。 私が長男だったら、農家は跡つぎにきびしいから、こんなふうに遊べたかどうか疑問である。しかし私は家に責任のあに次男なので、親は比較的寛大に遊ばせてくれた。そのことを私は親にどれほど感謝しているか知れない。子供のころに、自然の感触をからだでたしかめるような時間がなかったとしたら、小説を書いたところで、一行だってまともな自然描写など出来るはずがないと思うからである。

 …以上は私のむかしばなしである。何のためにこんなむかしばなしを持ち出したかといえば、先生と生徒という関係の不思議さというようなことに触れてみたかったからである。
 喜治郎先生の場合のような、先生の側のこの無償の情熱、そして生徒である私に、いまなお残る尋常でなり懐かしさとは何なのだろうか。多分教育とは、どのような形であれ、生徒の心と身体をはぐくむという運命からのがれられない職業なのだろう。そこに教師という職業の、ほかの職業とは異なる聖なる部分があるように思われる。
 と言っても。私にしたところで、まさか教師は聖職だというつもりはさらさらない。かつて私は二年間教職にいた経験があり、そのときの多忙はほとんど肉体労働に等しいのだった。聖職などという言葉はいたずらに反感をそそるだけで、私は教師は労働者だと思った。
 しかし、生徒を担任して一年近くたったころに、私は自分が、労働に見合う報酬を得るのが目的で働く労働者ではなく、何か割り切れない聖なる部分をふくむ職業をえらんだなのだということにも気づかざるを得なかった。(「作文と教育」昭和63年9月号より)