藤沢周平とメーデー

朝日新聞5月2日「天声人語」の転載です
 市井の片隅に生きる町人を描く、作家藤沢周平の筆はやさしい。同じ視線なのだろう。若いころ、〈メーデーは過ぎて貧しきもの貧し〉と詠んでいる。結核で長く療養中の自らを写した句だったかも知れない▼資本の論理が牛耳る世の中への、ささやかな異議申し立てのようでもある。同じころ〈桐咲くや田を賣(う)る話多き村〉とも詠んだ。郷里の山形のことか。どちらも、戦後復興の日陰に生きる人々を見つめて切ない▼メーデーのきのう、各地で労働組合の集会があった。近年は地域や団体で開催日がばらつき、様変わりぎみだ。既成の労組だけでなく、低収入で厳しい生活を強いられている人たちの連携も、じわり広がっている▼「プロレタリアート(労働者階級)」ならぬ「プレカリアート」と言うそうだ。イタリア語の「不安定」に由来し、非正規の労働者などを総称する。働けど食えない人もいる。「生存を貶(おとし)めるな」と訴える集会がいま、全国で順次開かれている▼はるか昔、聖徳太子は十七条憲法で「富者の訴えは石を水に投げるようだが、貧者の訴えは水を石に投げるようだ」と戒めた。富む者は聞き入れられ、貧者ははね返される。いまに通じるものもあろう▼そうした、政治に届きにくかった労働現場の声が、様々な形でまとまり、噴き出し始めた。政財界は、はじき返すことなく、ていねいに聞く必要がある。メーデーは過ぎて――あすは憲法記念日。格差は広がり、貧困ははびこる。「健康で文化的な」と生存権をうたった25条を立ち枯れさせてはなるまい。