「後期高齢者医療制度」と旧沢内村「生命行政」

既報5月7日「ツァー予告」のとおり、国際ツーリストビューローでは、“沢内村・いのちの碑と宮沢賢治の世界”のツァーを11月22日〜23日に予定しすでに発表しています。今日14日のしんぶん赤旗に、旧沢内村の深沢晟雄元村長についての下記タイトルの記事が掲載されています。私どもも強く共感し心励まされましたので転載させていただきます。

健やかに生まれ育ち老いる理念と実践
今、国のうば捨て政策を撃つ 及川和男

生命村長 深沢晟雄(まさお)のメッセージ  

“幸福追求の原動力である健康を、人生のあらゆる時点で理想的に養護するため、①すこやかに生まれる(健全な赤ちゃんを産み育てる)②すこやかに育つ(心身ともに強靭で、聡明な人づくり)③すこやかに老いる(健康態老人づくり、不老長寿、生存年齢・自然死への接近)という三目標を実現する。そのためには、誰でも(どんな貧乏人でも)、どこでも(どんな僻地でも)、いつでも(24時間、365日、生涯にわたって)、学術の進歩に即応する最新・最高の包括医療サービスと、文化的な健康生活の保障を享受することが必要である。”

「豪雪・多病・貧困」克服へ
これは、1962年に、岩手県和賀郡沢内村(現西和賀町)が策定した「地域包括医療実施計画」の核心部分(要約)である。この年、沢内村は、我が国地方自治体として初の乳幼児死亡率ゼロという金字塔をうちたてた。
いま「後期高齢者医療制度」などという悪政に対し、轟々たる反対の世論が起こっている時、この沢内村の掲げた目標は、強烈な光を放って国家によるうば捨て政策の醜さ、非情さを撃っていると私は思う。深沢晟雄さんの墓も怒りで動くほど、と感じられてならない。
 よく知られているように沢内村は「自分たちで生命を守った村」であり、深沢晟雄村長がリーダーシップを発揮して、村民総ぐるみで「豪雪・多病・貧困」という三悪克服に立ち向かった。
 深沢晟雄村長には確固とした理念があった。価値の根本は人間であるという哲学と、憲法第25条である。人間の尊厳を尊重する民主政治、村びとによる自治は、何よりも人間の平等性に立脚すべきものであり、人間の生命に格差があってはならないという理念であった
 1960年12月、沢内村は65歳以上の村民の医療費無料化制度を全国で初めて実施し、翌年4月からは60歳以上にするとともに、乳児の医療費も無料化した。この時、県では国保5割給付のもとで10割給付を行うことは条例にも反し、行政訴訟を起こされることも考えられるとして、思いとどまるように指導した。これに対し深沢村長は、「裁判されるなら受けて立つ。憲法に照らして、わたしは絶対に負けない。本来国がやるべきことをやっていない。だから沢内がやるんだ。国は必ずあとからついてくる」と反論した。
 

切実な願いと行動を励ます
 やがて県や国が70歳以上の高齢者医療費の無料化を実施するに至るのだが、1983年、国家財政の危機と医療制度の欠陥のツケを高齢者にしわよせする「老人保健法」を強行した。そのときも、沢内村は村民共同のあかしとして、自らの無料化制度を堅持した。
 最近の市町村合併により、一部自己負担に後退せざるを得なかったが、生命行政の理念は脈々と受け継がれており、最近完成した長編記録映画「いのちの作法―沢内『生命行政』を継ぐものたち」(小池誠征人監督)に生き生きとえがかれている。私が24年前に著した『村長ありきー沢内村深沢  の生涯』も、再々度の復刊が進んでいる。
 深沢晟雄さん死して43年、夫人のミキさんも今年1月に亡くなられた。しかし、深沢さんの発したメッセージはますます輝いて現在に届いており、「後期高齢者医療制度」廃絶への人々の切実な願いと行動を励ましつづける。
(5月14日しんぶん赤旗 文化・学問のページより)