“お国自慢と高速道路”

藤沢周平の作品と人物に触れて…その9 出典は、彼のエッセイ集“ふるさとへ廻る六部は”です。

 お国自慢というものは、もともと特殊であるところに自慢の根拠をもっているので、聞く人、読む人すべて感心させる普遍性とは相容れないものであろう。だから親ばかの子供自慢に似て、大概はあまり力説するとフンなどとそっぽをむかれるのがオチである。
(…中略…)
鳥海山はコニーデ型、月山はアスピーテ型と山型も対照的で、私の村から見ると月山は東の正面に、鳥海山がやや遠い北にそびえている。そして、鳥海山が単純を良しとして北方につんとして澄ましているのにくらべ、月山は季節によってじつに複雑な山相を見せる山だった。
(…中略…)
しかし数日吹き荒れた吹雪があったあとに、神の恩寵というしかないような晴天の1日が訪れ、そういう日は、月山は全山白雪に覆われた姿を現した。空を区切る稜線から走り落ちる峰峰は刃物の刃のように日にかがやき、隣り合う深い谷に落とす影は暗くて、月山はまさに死の山、神秘的な山に見えたものだ。
 しかし、月山は神秘的な印象をあたえるだけでなく、人懐かしい気分を誘う山でもあった。子供のころ、秋になると月山の中腹に終日細い煙が立ちのぼるのが見えた。炭を焼く煙だと教えられた。また夜になると、やはり月山の中腹とおぼしいあたりに、ちかちかと灯火がまたたいて見えた。あんな山の中に人が住むのかと不思議に思ったものだが、そこはゆるやかに傾斜する月山の山麓地帯で、私の村からみればはるかに高い位置になるそこにも、人びとが住む村落があるのだった。
 ところで話は急に現実的になるけれども、その見馴れた風景の中に、ごく近い将来高速自動車道が割り込んでくることになったようである。東北横断自動車道というのがそれで、宮城県に起点を持ち、県境を西に越えると山形の内陸部を横切って庄内に入り、鶴岡市西部を迂回して庄内空港酒田市まで行く路線である。
 もちろん私も現代を呼吸して生きている者なので、高速道路の有効性に文句を言うつもりも資格もないけれども、問題はこの自動車道が、私の村からあまりに近い場所を通ることである。近いどころか、村の北部では自動車道は村を二つに割って走り抜けることになった。高架式の自動車道の高さと、村からの距離にもよるわけだが、いずれにしろ村の前面を駆け抜ける自動車道が、私のお国自慢の有力な種である月山、鳥海山の眺望を、かなり損なうことはになるのは間違いないようである。
 しかし、村はいま、加速度を加えつつある変革のまたっだなかにあって、たとえば近年平成2年)の調査によると、米どころ庄内の米作専業農家は7.7%、農業収入の方が主である1種兼業、兼業収入の方が主である2種兼業を合わせた兼業農家は92.3%、その兼業者のうち恒常的勤務、つまり隣接する都市などに勤め先を持っている者は、全体の70%近くに達しているのである。
(…中略…)
 変貌がここまでくると、村はとても月山や鳥海山にかまっている余裕はないわけで、またその月山も、観光化がすすんで8合目まで車が行く昨今は、神秘性もややうすれたように思われるのが残念でならない。
(「小説新潮」平成4年9月号)