ノーベル賞受賞者の平和運動

KokusaiTourist2009-02-03

 31日付け朝日夕刊1面トップに08年ノーベル物理学賞受賞者の一人益川教授の記事が大きく掲載された。記事によると、教授は日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士のお弟子さんである坂田昌一氏教授のまたお弟子さんだという。
 湯川博士は、自らの理論が原爆開発につながり、広島、長崎の惨劇を生み、さらに水爆開発も続いたことに衝撃を受け、核兵器廃絶と原子力の平和利用、戦争をなくすため最期まで力を尽くされた。核兵器と戦争の廃絶を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」の署名人の一人として、科学者の社会的責任として平和運動に取り組み、「世界平和アピール7人委員会」で平和憲法の尊重と核兵器の廃絶について積極的に発言を続けられた。そして、核兵器“まがつび”とよび、“まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる人のみぞここは”の詩を詠まれその歌碑が広島平和公園にあります。
 記事によると、坂田教授は『素粒子論の研究も平和運動も同じレベルで大事だ』と語り、反核平和運動に熱心に取り組まれ、『科学そのものは中立でも、物理学の支えなしに核兵器開発ができないように、政治が悪ければ研究成果は人々を殺傷することに利用される。科学的な成果は平和に貢献しなければならず、原水爆はあるべきでない』と熱っぽく若き学生益川氏たちに語られた。益川氏たち学生も全国の科学者に反核を訴える声明文や手紙を出すお手伝いをしたとあります。
 益川教授は当時を振り返り「とにかく戦争で殺されるのも殺す側になるのも嫌だという思いだった。ぼくのやるべき仕事は物理学や素粒子論の発展で、平和運動の先頭に立って旗振りをすることじゃない。でも研究者であると同時に一市民であり、運動の末席に身を置きたいと考えていた」と語っています。
そして05年3月、作家大江健三郎さんらが設立した「九条の会」に賛同し「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足すると呼びかけ人になられた。
 インタビューの最後は、「日本を『戦争のできる国』に戻したい人たちが改憲の動きを強めているのに、ほっとけないでしょ。いろんな理由をつけて自衛隊イラクへ派遣されたが、海外協力は自衛隊でなくてもできるはず。まだおしりに火がついている状態とは思わないが、本当に9条が危ないという政治状況になれば軸足を研究から運動の方に移す」と決意を述べられています。
 湯川、坂田、益川氏と3代続く物理学者の連綿と続く平和運動、偶然ではないでしょう。自然科学のよって立つ自然弁証法平和運動の展望を根拠づける史的唯物論弁証法唯物論の優位性の証明とも言えるのでしょうか…
 自らの仕事を社会的責任と結びつけて当然の如くその責務を果たしてこられた、また果たそうとされています。企業倫理の欠如の常態化ともいえる今の時代にあってさわやかな風として、私たちも受け止め学びたいと思います。
担当記者にも拍手!(写真は朝日新聞より)