“国境なき芸能団”

毎日新聞が8日付け朝刊大阪版で報道しました


地球村に架ける橋:国境なき芸能団
◇落語が傷ついた心を癒やす 地上に平和、人々に笑顔
 「えー、お笑いを一席」と落語が始まると、観客の顔がほころびる。が、状況が異なれば、様相が一変することもある。

 昨年12月、戦火が絶えないイラクの難民キャンプで寄席が行われた。客はテロのため手や足、肉親をなくした人々。仮設舞台に立ったのは、笑福亭鶴笑(かくしょう)さんを団長とする「国境なき芸能団」の3名である。
 鶴笑さんは高校卒業後、生きる術(すべ)を探しあぐねて笑福亭松鶴師匠に弟子入りした。とはいえ容易に芽が出るわけはない。
 90年に単身ニューヨークに行き、公園で落語をやってみた。と、意外な手応えがあった。以後、毎年海外へ飛び出した。オーストラリアでは1カ月間各地を巡って日銭を稼いだ。
 しかし日本では漫才ブームに食われて落語人気は凋落(ちょうらく)。悩んだ末、「人形にしゃべらせてみよう」と、パペット落語なるものを演じてみたら客席が沸いた。一番うける演目は「ザ・サムライ」だ。両足に人形を被せ、ニンジャがモンスターを倒すという奇想天外なストーリーに爆笑が起こる。
 人気は海外にまで飛び火し、ハンガリー、韓国など各国に招かれた。パペット落語は万人にうける、と自信を深めた。ところが南アフリカで上演したとき、見事にこけた。
 「刀を使って派手な戦いのシーンをやったら、お客さんが皆ムスッとしたままなんですよ。なんでやろうと思って、あとで聞いてみたら、『俺たちはもう、武器を使って戦うのは見るのも嫌なんだ。平和な笑いが欲しい』と言われたんです」
 笑いにはリアルな社会相が反映される。身につまされるエピソードである。
 鶴笑さんは芸術選奨文部科学大臣新人賞をはじめ数々の国内外賞を受賞。04年には文化庁の「文化交流使」として渡英するなど、海外公演は30カ国以上にのぼる。
 トルコ大地震の被災地に行ったとき、尊敬する「国境なき医師団」のメンバーから「医者にも治せないのは心だ。でもあなたにはできる」と言われた。
 その言葉を胸に刻み、06年に「国境なき芸能団」を立ち上げた。ドミニカ、ブラジル、カンボジアと毎年海外に出向いたのに続き、昨年、ジャーナリストの西谷文和さんに相談して選択したのがイラクだった。
 12月2日、北部の難民キャンプに到着すると、想像を絶する悲惨な光景にがく然とした。いきなり男たちに囲まれ、「何しに来た。帰れ!」と怒鳴られた。
 4日の公演日。こわばった表情の人々が広場に集まってきた。アラブ語で自己紹介した後、まず子どもらを対象にジャグリングや皿回しをすると、徐々に表情がほぐれていった。
 続いて高宮信一さんが似顔絵を描き、阪野登さんがマジックを披露した後、鶴笑さんが「ザ・サムライ」を上演した。たちまち大爆笑がはじけた。
 「ドカンと、すごい笑いでした。『我々も生きてるんだ』という熱い笑いが爆発するようなパワーを感じましたね」
 公演終了後、テロに巻き込まれて左目を失った少女が言った。「ずっと笑うことのない日を過ごしてきたけど、こんなに笑ったのは初めて。日本の落語家に感謝します」
 その後、学校などに笑いと救援物資を届け、がん専門病棟にも立ち寄った。劣化ウラン弾や毒ガス兵器の後遺症に苦しむ子どもらがベッドに横たわっていた。
 鶏の人形の芸を見せると、うつろな目に微笑が浮かんだ。しかしただ一人、まったく表情の動かない幼児がいた。「この子は病気のショックで笑いを忘れたんだ」と医師がつぶやいた。幼児を笑わせられなかったことが、いまも心残りとして胸に沈殿している。
 国境なき芸能団は「笑いに国境はありません。『地上に平和を、人々に笑顔を』」と訴える。幸福に、命に国境があってなるものか。奪われた人間性を回復させるために、国境を越えて笑いを届け続けていくのである。<ノンフィクション作家>
 笑福亭鶴笑、西谷文和による「イラク報告&落語会」
 25日午後7時開演大阪市北区のいきいきエイジングセンター。1000円。問い合わせは国境なき芸能団。