リビアはいま?!


西谷文和さんのレポートその4
ミスラタ郊外の前線へ
2011年5月31日 06:34
写真は前線で対空砲を撃つ兵士。対空砲を水平に向けて、遥か彼方のカダフィー軍兵士を狙っている。
5月27日、今日はミスラタでの最終日なので、前線に行く。ミスラタ市内から前線までは約30キロ、車で飛ばせばわずか30分の距離だ。
通訳バシールの車で、海岸沿いの国道を西へ。この道はトリポリに続く幹線道路で、周囲の町はつい最近までカダフィー側の支配地域だった。右手に地中海、左手に中国系企業団地。漢字で「なんとか公社」などと書かれている、その工場群が、ミサイル攻撃で破壊されている。スーダンもそうだったが、中国のアフリカ進出は凄まじい。スーダンリビアも石油が出るのだ。
20分ほど走ると最初のチェックポイント。日本から来たジャーナリストだと分かると、カダフィーダウン、アッラーアクバルなど、兵士が大声で叫びながらビデオカメラに向かって撮れ、撮れとうるさいくらい。今週から戦闘が激しくなっていて、昨日は迫撃弾で、反政府側の兵士が5名死亡した。本日はその報復で朝から激しく攻撃しているらしい。今日は金曜日なので、特別派手にやるつもりなのか?
チェックポイントで兵士の写真を撮影していたら、別の兵士を乗せたピックアップトラック4台が、猛スピードで前線に向かう。援軍を送り込んでいる。急いでそのトラックを追いかけながら、第2、第3のチェックポイントを過ぎ、あっという間に前線へ。
トリポリに向かう国道を、大きなトレーラーが遮断している。そのトレーラーの周囲には土が盛ってあって、その盛土が「前線」であった。兵士が盛土の上で銃を構え撃ちまくっている。トラックの荷台には対空砲。対空砲の隣には肩からRPGロケット弾を担いだ兵士。
ズドーン、腹に響く轟音とともにロケット弾が発射され、数キロ先で煙が上がる。ここからカダフィー側の前線までは約5キロ。こちらからロケット弾を撃つと、向こうからも撃ってくる。わずか1キロ先で、煙が上がる。普通の銃では届かないので、このようなロケット弾の打ち合いで間合いを計り、頃合いを見て「決死隊」が近づいて、RPG やFNマシンガンをぶっ放す、というのがここでの戦闘スタイルだ。
もちろん「決死隊」は反政府の義勇兵だけではなく、カダフィー側の兵士も木々やその他障害物にまぎれて近づいてきて、ロケット弾を撃ってくるから、こちら側にも死者が出る。
「危ない、離れろ!」兵士が叫ぶ。対空砲の横で撮影していた私たちが離れないと、自陣の放った砲弾の熱などで怪我する場合があるのだ。ズン、ズン、ズシーン。対空砲は連射式、轟音とともに周囲に土煙。実際に間近で撮影していると、耳がおかしくなるほど。
「もう限界だ。長居は危険、早く退散しよう」。バシールが促す。確かにあのロケット弾の直撃を受けたらひとたまりもない。前線を去ろうとしたその瞬間、パンパンパン、前線の盛土から外へ出て、マシンガンをぶっ放す若者。カダフィー軍の兵士を発見したようだ。撃たれれば彼は間違いなく死亡。彼も狂ったようにマシンガンを連射している。
結局30分ほどで前線を後にする。「早く車に乗れ!ぶっ飛ばすぞ」。バシールは猛スピードで前線から遠ざかる。「あの前線の周囲数キロまでロケット弾の射程距離だ。一目散に遠ざかるのが肝心だ」。バシールの言葉にうなずきながら、「安全圏」へと戻る。
午後5時、ミスラタへの船を待つ。港で「臨時ニュース」が飛び込んできた。
「本日、前線で地元ラジオ局のレポーターがロケット弾の直撃にあって死亡、2人が重症」。ついさっき、アルジャジーラが伝えたようだ。私たちが去ってから1時間後の出来事。危なかった、そして地元ラジオ局勤務ジャーナリストのご冥福を祈る。
午後9時、ミスラタ発ベンガジ行きの大型客船が出港。ベンガジまでは20時間の船旅。地中海は何事もなかったかのように静かに波打っている。「シルト湾」の対岸、ベンガジにたどり着けば、私のリビア取材はひとまず終了となる。