リビアはいま?!

KokusaiTourist2011-07-10


西谷文和さんのレポートその5最終回
リビア取材を振り返って
2011年6月 9日 23:26
神戸での6月25日報告集会の模様はhttp://d.hatena.ne.jp/KokusaiTourist/20110626
今回のリビア取材はミスラタに入れるかどうか、が勝負だった。ベンガジ〜ミスラタの、いわゆる「避難民輸送船」が定期就航した直後だったので運良くミスラタに入ることができた。
この輸送船は地元の篤志家が人道支援船として就航させたもので、乗客からは多額の船賃をとることができないので、一回往復するたびにかなりの負担が生じるとのことだった。
リビアを垣間見て感じたことは、支配、被支配の階層性だった。ベンガジの港が見える国道沿いには、イタリアが築いたビルが並んでいる。第2次大戦中、ムッソリーニが演説した、というバルコニーがそのまま残っている。イタリアはじめヨーロッパ列強に支配され、搾取されてきたからこそ、カダフィの無血革命が成立し、その後ある種の社会主義的な政策がとられたのではないか、と思った。
逆に、ベンガジで出会ったナイジェリア青年。サハラ以南のブラックアフリカ、黒人はリビアで出稼ぎに来て、3Kの仕事をしている。ミスラタにはバングラディッシュ人労働者が、内戦に巻き込まれて帰国できずにブラブラしていたし、フィリピン人女性看護士が、カダフィ軍兵士にレイプされ、連れ去られていた。激戦地ミスラタでも、3Kの仕事は出稼ぎ外国人が担っていた。
つまりここではリビア人は搾取する側であった。一日3000ドル(24万円だ!)で、黒人たちが傭兵になっているのも、貧困が主な原因の1つだ。
カダフィ軍はロシア製の戦車、フランス製の対空砲、イスラエル製のクラスター爆弾など、「兵器の見本市」のような強力部隊だった。
ヨーロッパ列強が、カダフィに大量の武器を販売していた。「石油で支払えばいいよ」と、見境なく武器を融通していたようだ。
これはイラクも同じ構造だった。イラン・イラク戦争で生じた莫大な戦費を、フセインも石油で返済しようとした。石油あるところ紛争あり。リビアもまた武器と石油の取引で、「戦争ムラ」の特別会員だけが潤っていたのだ。
日本では「原子力ムラ」があって、東電や経産省、テレビマスコミ、御用学者などが「ムラ人」であった。リビアで感じたのは、「石油企業、軍産複合体、欧米首脳、アラブの石油王たち、武器販売ブローカー」などが「戦争ムラ」の村人なのだろう、ということだ。
放置すればミスラタの人々が虐殺されていたので、NATOの介入は致し方なかった面がある。しかし今やその軍事介入がエスカレートして、「人道支援」という初期の目的から、「カダフィ打倒」に変わってしまっていて、誤爆によって民間人を殺害している。NATOはこれ以上の軍事介入を止めて、早急に和平交渉に入るべきだ。トリポリを中心とする西リビアは、当面カダフィに治めさせ、停戦合意の後、公正な選挙をしてリビア人自身が次の代表を選べるようにすればいいのだと思う。もちろん東リビアでは、新政権を樹立するのであるが。
カダフィ後はどうなるだろうか?
今はみんな「カダフィ打倒」で団結している。少々の問題が生じても、おそらく打倒するまでは一枚岩。「アラーアクバル」と叫びながら、トリポリ陥落まで戦い続けるのだろう。
問題は「共通の敵がいなくなった時」である。互いの利害が対立し、そこに武器が氾濫している。さらに、リビアの人々は41年間、選挙もしたことがなければ、国会もないし、政党政治も知らない。
内戦になるのではないか?
紛争の種はいくらでもある。石油、領土のひき直し、イスラム原理主義、武器の扱いになれた若者たち…。簡単にいえば、リビアのアフガン化である。
そうならないように、国際社会がリビアで生じた争いや憎しみを癒しながら、和平へのロードマップを描かねばならない。
カダフィはそう長くは続かないだろう。NATO軍の攻勢の前に、逃げ出すか、殺されるか、クーデターが起きるか。民衆が独裁者を打倒し、自由を手に入れることは、大変結構なことだが、そうなるまでに、さらに大量の血が流れないことを祈るのみである。