新田次郎 “怒る富士”

KokusaiTourist2011-07-25

 今からおよそ300年前、富士山に宝永の大噴火(1707年)があった。山の東側が火山灰で全滅になる中で、農民たちが“砂よけ”(降砂地の復旧)の費用負担と“生活補償”を幕府などに求めるたたかいを描いた新田次郎の小説です。
3月下旬頃、何気なく書店で買い求めて読み進めるうちに、幕府の行動が、東日本大震災の救援、復旧での政府・東電の被災地、被災者への姿勢と何と似通っていることかと…
江戸時代、それは“亡所”“棄民”と言われた…
 一部を抜粋転写してみました。ブログでは読みづらいと思います。文春文庫から、“怒る富士”のタイトルで上下巻で書店の「新田次郎コーナー」にあります。
静岡県側からみて富士山の右斜面に少し盛り上がったヶ所があります。この“こぶ”ができたのが、宝永の大噴火と言われています。