倉本 聰さん(脚本家)

今回の災害を日本の大きな転換点に
全国革新懇ニュース【革新懇インタビュー】に登場
 戦後最大の災害、福島原発事故。四季豊かな北海道を舞台に家族のきずな、生き方などを問いかけたテレビドラマ「北のくにから」の作者はそう考えているのか−秋深まる富良野市の自然林の中で笑顔で迎えてくれました。本紙に20年ぶりの登場です。

罪が深い原発事故
東北での大津波や大地震は以前から検証されていました。貞観(じょうかん)の大地震(869年)まで戻らないまでも資料は残っているし、吉村昭さん(作家)の『三陸海岸津波』でも聞き書きで詳しく書かれています。それなのに福島の海岸線に原発を建ててしまった。
「危ない」と言った学者はいたと思いますが、御用学者だけの意見が採用された。「不都合な真実」は隠蔽されたということです。
 日本の場合、放射能の被害をいう大事件は、広島、長崎がありました。原爆にあいながら、また起こしたという罪の深さはいいようがないですね。
 ぼくも東電の柏崎刈羽原発(新潟)などに行ったことがあります。東電の人からは、原発について「絶対安全だ」といわれました。しかし、放射性物質を出す使用済み核燃料はどこかで消えるという保障がない。その消せないものが残るのに、モノ(原発)をつくってしまった。ここにそもそもの根源があります。
人間の活動を地球の運動に
 エネルギーの需要と供給の解決策の一つとして、人間の活動時間を地球の運動に合わせるということがあります。
 1960年代には65%ぐらいが夜の10時には寝ていました。それがいま12時を過ぎている。テレビは人が寝静まった時間までやっている。またヨーロッパでは、60%ぐらいの家が一家で食事をしている。父親が5時とか7時に家に帰るからです。日本では、8時過ぎても帰らない父親が半数以上です。一家で食事をするのは「月に1回もない」というこどもが7%います。家庭崩壊も生まれています。これらを解消するには、ここ富良野では太陽が上がるのがいま5時半ぐらいですが、人間活動の時間帯を思い切ってずらすことを考えていいと思います。(続く)