「原発ゼロ社会」は選択の問題ではない。不可避の現実である

9・11学術会議報告書の衝撃 そのⅠ

日経ビジネスonline 2012.10.12より 

筆者は、東京電力福島第1原子力発電所の事故を受け、内閣官房参与として2011年3月29日から9月2日まで、官邸において事故対策に取り組んだ。そこで、原発事故の想像を超えた深刻さと原子力行政の無力とも呼ぶべき現実を目の当たりにし、真の原発危機はこれから始まるとの思いを強くする。これから我が国がいかなる危機に直面するか、その危機に対して政府はどう処するべきか、この連載では田坂広志氏がインタビューに答える形で読者の疑問に答えていく。シリーズの8回目。
<1>政府も財界も気づかない最大の「アキレス腱」
民主党政権が「革新的エネルギー・環境戦略」において表明した「原発ゼロ社会をめざす」という方針に対し、財界からは「原発は、コストの安い電源だ。安全性を確認して稼働し、存続させるべきだ」「原発を稼働しないと、日本経済が破綻する」「核燃料サイクルを放棄すると、日米関係がおかしくなる」といった強い批判が起こっていますが、この問題を田坂さんは、どう考えるでしょうか?
田坂:財界の方々が、エネルギーコストの問題や、日本経済の問題、さらには、日米関係の問題を考え、こうした懸念を表明される気持ちは分かるのですが、財界を始めとする原発維持を主張する方々が、いま、見落としてしまっている極めて重要な問題があるのです。

何でしょうか?
田坂:原発ゼロ社会」というのは、「政策的な選択」の問題ではなく、「不可避の現実」だという問題です。
 いま、政府、財界、メディアを含めて、「日本という国は、原発ゼロ社会をめざすべきか否か」という論調で、あたかも、「原発ゼロ社会」というものが「それを選ぶか、否か」という「政策的な選択」の問題だと思い込んでいるのですが、実は、「原発ゼロ社会」とは、好むと好まざるとに関わらず、否応なくやってくる「不可避の現実」なのです。
 残念ながら、いま、政府も財界もメディアも、その一点を完全に誤解して議論をしています。

なぜ、「原発ゼロ社会」が「不可避の現実」なのでしょうか?
田坂:原子力発電と核燃料サイクルが抱えてきた最も致命的な「アキレス腱」が切れてしまったからです。

「最も致命的なアキレス腱」とは?
田坂:高レベル放射性廃棄物と使用済み核燃料の「最終処分」の問題です。
 この最終処分の問題は、昔から「トイレ無きマンション」という言葉で、原発推進に反対する方々から批判されてきた問題です。要するに、原子力発電と核燃料サイクルから発生する「ゴミ」を安全に捨てる方法が確立されないかぎり、いずれ、原発は稼働できなくなる、という問題です。

世界が壁に突き当たる高レベル廃棄物の最終処分
田坂さんは、その「高レベル放射性廃棄物と使用済み核燃料の最終処分」の専門家でもありますね?
田坂:ええ、私は、40年前に「原子力」というものに人類の将来のエネルギー源としての夢を抱き、原子力工学科に進み、原子力工学で学位を得た人間です。そして、その博士論文のテーマは、まさに、この「高レベル放射性廃棄物を、どのようにすれば安全に処分できるか」というテーマでした。

<2>そして、この問題の解決策を見出すために、1987年には、米国のパシフィックノースウェスト国立研究所の客員研究員になり、米国の高レベル放射性廃棄物最終処分プロジェクトである「ユッカ・マウンテン・プロジェクト」にメンバーとして参加したのです。
 それらの努力は、すべて、原子力発電と核燃料サイクルの抱える「最も致命的なアキレス腱」の問題を解決し、原発推進に懸念を表明される方々の「トイレなきマンション」の批判に応えるためでした。

すなわち、それは、原子力発電と核燃料サイクルの「アキレス腱」を「切らない」ための努力であったわけですね。
田坂:そうです。その努力とは、この日本において高レベル放射性廃棄物や使用済み核燃料を安全に最終処分する方法を見出すことであり、具体的には、地下深くの安定な岩盤中に廃棄物を埋設する「地層処分」という方法を実現することでした。
 そのために、私は、大学や国際研究機関での研究者として、さらには、民間企業での技術者として、この「高レベル放射性廃棄物の最終処分の問題」に、20年間、取り組んできたのです。

学術会議報告書の持つ「深刻な意味」
では、なぜ、田坂さんは、その「最も致命的なアキレス腱」が「切れてしまった」と言われるのですか?
田坂:日本で最高の学問的権威が、「日本で地層処分を実施することは不適切だ」と提言したからです。
 すなわち、去る9月11日に、日本学術会議内閣府原子力委員会に対して「高レベル放射性廃棄物の処分について」という報告書を正式に提出し、「高レベル放射性廃棄物や使用済み核燃料については、現時点で、十万年の安全性を保証する最終処分(地層処分)を行うことは適切ではなく、数十年から数百年の期間、暫定保管をすべきである」との提言をしたからです。

すなわち、学術会議は、「十万年の安全性が保証できないかぎり、日本で地層処分をするべきではない」と提言したわけですね?
田坂:そうです。日本でも最高の学問的権威を持つ組織が、正式にこの提言を表明したことの意味は、想像を絶する重さで、これからの原子力行政と原子力産業にのしかかってくるでしょう。
 それにもかかわらず、残念ながら、政府も、財界も、メディアも、この学術会議の提言が意味するものの大きさと深刻さを、まだ理解していないようです。

<3>「日本で地層処分をするべきではない」ということの意味する深刻な問題とは、何でしょうか?
田坂:地層処分」ができないということは、高レベル放射性廃棄物や使用済み核燃料を、極めて永い期間、「長期貯蔵」しなければならなくなるということです。
 学術会議は、このことを「数十年から数百年の期間、暫定保管すべきである」と提言していますが、将来、地層処分の「十万年の安全性」が科学的に証明されるか、全く新たな最終処分法が開発されるまで、「暫定保管」(長期貯蔵)をしなければならないと提言しているのです。

「暫定保管」と「総量規制」がもたらす全原発停止
高レベル放射性廃棄物や使用済み核燃料を「数十年から数百年の期間、暫定保管する」ことになると、何が問題になるのでしょうか?
田坂:学術会議は、高レベル放射性廃棄物や使用済み核燃料の発生量を「総量規制」しなければならなくなる、と指摘しています。
 すなわち、現時点で「最終処分」の方法が無く、極めて永い期間、「長期貯蔵」をしなければならない高レベル放射性廃棄物や使用済み核燃料は、これ以上、無制限に発生させ続けるわけにはいかないので、その発生総量の「上限」を定め、規制しなければならなくなるのです。

たしかに、「捨て場」の無いゴミを、無制限に発生させるわけにはいかないですね。
田坂:その通りです。そして、この「総量規制」を導入せざるを得なくなった瞬間に、原発をいつまでも稼働させ続けることができなくなるのです。
 そして、まさに、このただ一つの決定的な理由によって、遅かれ早かれ、好むと好まざるとにかかわらず、我々は、原発を止めざるを得なくなるのです。

政府と財界は「幻想」を抱かず、「現実」を直視すべき
しかし、財界の人々は、「原発は、コストの安い電力だ」「原発の安全性は、十分に高められる」という理由で、原発の再稼働と原発の存続を主張していますね?
田坂:私も、かつて、原発推進の立場に立っていた人間ですので、財界の方々が、そう主張する理由は分かるのですが、仮に、原発の発電コストがどれほど安かろうとも、また、絶対事故を起こさない原発が開発されようとも、この「高レベル放射性廃棄物と使用済み核燃料の最終処分の方法が無い」という、ただ一つの理由で、原発は、早晩、稼働できなくなるのです。
 実際、いまでさえ、全国の原発の使用済み核燃料保管プールの満杯率は平均70%にも達しており、原発稼働に伴って膨大に発生し続ける使用済み核燃料を貯蔵する場所の確保も、極めて難しい状況になっているのです。
 その現実を、今回の学術会議の提言は、極めて厳しい形で、我々に突きつけたのです。
(続く)