介護と仕事の現実 

朝日9日付け京都版に、当(労協)国際ツーリストビューローの富田秀信氏の記事が掲載されていますので抜粋します。
ディーセントワーク&ライフをめざす労働者協同組合国際ツーリストビューローならではの職場の対応も紹介されています。
以下記事から
家族の介護を理由に毎年10万人を超える人が離職し、経済的に追い込まれる人も少なくない。仕事と両立できる社会をつくろうと、立命館大京都市北区)に事務局を置く男性介護者と支援者のネットワークが、「介護退職ゼロ作戦!」と題した集いを各地で開いている。
男性介護ネットは昨年10,11月、京都市内をはじめ、北海道や福岡など全国6ヶ所で集いを開いた。このうち、京都テルサ(南区)で開かれた集いでは、妻の介護を続けて16年という南区の会社員、富田秀信さん(62)が介護と仕事の両立について語った。
 妻千代野さん(65)は1996年、心臓病で倒れた。命は助かったが、一時的に脳に酸素が十分に届かず、記憶などの障害が残った。当初は、近所の人や友人に事情を話して助けてもらった。
写真も同記事より
2000年に介護保険制度が始まると、最も介護を要する「要介護5」に認定された。午前8時に訪問介護に来てもらい、富田さんは神戸の会社へ、妻はヘルパーに見送られてデイサービスへ。富田さんは夕方5時までに帰宅し、妻を待つ生活が続く。
ショートステイ(短期入所)が出張直前まで利用できるかわからなかったり、妻が風邪をひいたために利用を断られたり、「綱渡りの状態だったが、職場のみんなに事情を話し、働きたいと訴えることで理解が広がった」と振り返る。
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伏見区の田村さん(63)は、04年に母が心臓病で急逝、85歳の父は1人暮らしになった。翌年には入院し、認知症も進んでほぼ寝たきりになった。
JR東日本に勤め、東京都内の社宅で暮らしていたが、父の退院に合わせて8ヶ月介護休職をとった。父は杖をついて歩くまでに回復した。だが、特別養護老人ホーム老人保健施設から入所を断られ続けた。
介護休業はさらに4ヶ月延長できたが、その間に施設が見つかる保証はない。当時56歳早期退職制度を利用すると1年、基本給が出た。父の年金が年約250万円。父の扶養家族となれば妻と3人の生活は何とかなると考え、退職した。
一昨年2月、父をみとった。「離れて暮らす親や、配偶者の介護で、退職せざるをえない40,50代は増える。介護休業後、介護者が復職する場合は、施設入所を優先させるような配慮をしてほしい」と話す。
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男性介護ネット(http://dansei-kaigo.jp)は09年3月、各地の男性介護者の交流や政策提言などのため、立命館大の津止正敏教授らを中心に発足。今年3月9日に「介護退職ゼロ作戦」シンポジウムを、同10日には男性介護ネットの第5回総会を、北区の立命館大衣笠キャンパスで開く。

『介護退職』
 総務省の終業構造基本調査(2007年)では、06年10月〜07年9月の一年間に「家族の介護・看護」を理由に離職した人は全国で14万4800人おり、うち男性は2万5600人。府内では2700人のうち男性は500人だった。
 立命館大産業社会学部の斉藤真緒准教授が11年、京都市内の企業265社の40代以上の従業員へアンケートしたところ、回答した254人のうち介護経験者は101人(40%)。利用したい制度で上位だった介護休業を実際に利用したのは2人、労働時間の短縮は7人にとどまり、理想と現実の差が浮き彫りになった。


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