原発と日本国憲法

東日本大震災の復旧・復興が遅々として進まない中で、自民党復活・復古政権は原発について推進姿勢を隠そうとしない。また、憲法問題にも急速に踏み込もうとしている。そんな時に、憲法の立場から原発をどうみるか!といった視点の論文に触れた。一部を紹介します。書籍は「東日本大震災 復興の正義と倫理 検証と提言50」。http://d.hatena.ne.jp/KokusaiTourist/20121225
小林直樹教授の「『原子力政策』の憲法問題」(1978年=35年前)
憲法13条と25条】
憲法13条は、国民の幸福追求権を国政の最も基本的な課題とすることによって、また同25条は国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する旨を示すことによって、原子力政策にも大きな方向付けを与える。もっとも、両条の一般的規定から、エネルギー政策のあり方を具体的に指示する意味が、直接に引き出されるわけではない。
 生活の利便と引き換えに人々の生命・健康及びそれらを支える環境を損なうことあ、憲法13条及び25条の趣旨に反する…。
憲法9条】
憲法9条は、原子力政策に徹底した平和主義という枠組を課する。
憲法1条と21条】
原子力政策には何らかの人民的コントロールの体系が考えられなければならない。主権者たる国民には十分に「知る権利」が保障され、さらには政策の決定と実現の過程に、何らかの過程に何らかの仕方で「参加」する権利が認められるべきであろう。
 主権者規定(憲法1条)や「知る権利」(同21条関係)にふさわしい方法が望まれるといえよう。

☆同じく1991年の補論 スリーマイル(1979年)、チェルノブイリ(1986年)を経て
原発の重大事故は、補償も回復もできない大損害を生ずる。
②このような大事故は、相当程度に高い確率で発生する。
放射性廃棄物の再処理や廃棄の方法、廃炉の始末等について、難問が続出してくる。
☆同じく同年に出された「提言」
①安全性が保証できない以上は、原発推進政策を早急に停止し、原発の縮小・整理の方向に転換する。
②長期のエネルギー政策を再検討し、太陽熱・地熱等を利用するソフト・エネルギーの本格的な計画を樹てる。
③エネルギーを過剰に浪費する生活様式を改め、国民の自覚と同意の上で方向転換を計る。
以上の指摘は現在においても十分に通用する。

これらの紹介のあと、同書では憲法から見て福島原発事故は何だったのかを検証している。
前略 人権侵害の本質は、権力の濫用に伴って、基本的人権の規定に掲げられているような自由や権利が損なわれることにある。原発の建設・稼働に際しては、政府や電力会社が関与するわけであるが、それぞれ国家権力なり社会的権力なりを有しているわけで、そういった権力をもってして、強引な利益誘導や原発の危険性についての情報操作、原発誘致における「出来レース」的な手続き進行、マスメディアへの広告費用という名の下での金銭投入による原発批判報道の封じ込めがなされた。また、学問の世界においても、原発推進に懐疑的な研究者が排除されていったという点も見逃せない。
中略
 要するに、原発は人権侵害や権力の濫用の上に成り立っているシロモノであり、福島第一原発事故というのは、そういった人権侵害や権力の濫用の結果として引き起こされたということだ。であるから、事故によって引き起こされた損害を回復するだけでは根本的な問題解決にはならないのである。
中略
まずは、原発のあり方についてきちんと議論ができるような環境作りが必要である。民主主義の前提は、真理・真実を国民に伝えることである。もちろん、政治も真理・真実に基づいて行われなければならない。それさえできていなかったこと自体、民主主義社会の一員として恥ずべきことである。
中略
国民1人ひとりが、社会や政治に関心をもって、意見表明をするというのが、民主主義であって、国民はそれなりの勉強をすることが所与の前提である。政府・マスメディアによるごまかしを見抜く能力を身につけることも必要不可欠である。
中略
憲法はわれわれに「自由獲得の努力」(第97条)を絶え間なく求めているのである