沈黙の町に新しいメディアを創る!

 “東北まぐ”19号から転載します。
地福寺の参道を照らすろうそく(宮城県気仙沼市)/撮影「ともしびプロジェクト」

まちを見下ろす高台にある神社の境内。受験を控えた中学生たちが、神妙な面持ちで手を合わせています。地震の直後に水が押し寄せ、夜半には炎にのみ込まれた彼らのふるさと。夜が明けるとともに、煙が立ち上るがれきの中へ躊躇なく飛び込んで行った救助隊と医療チームの姿が、彼らの脳裏に焼きついています。「僕も彼らのように、人の役に立つ仕事に就きたいんです」
 震災を機に決意した思いを胸に、彼らは東北のまちの希望の光として、今あたらしい世界へと踏み出そうとしています。
 一人でも多くの方が東北に足を運ぶきっかけとなることを願って。東北まぐ、第19号をお届け致します。

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復興へのみちのり 「大槌みらい新聞」


カメラを手にした、大槌のおばあちゃんたち。「私の宝物」をテーマとした写真展開催に向け、クラウドファンディングサイトで支援を呼びかけ中(撮影:大槌みらい新聞)。
東日本大震災の大津波を受け、町長をはじめとする役場の幹部40名が行方不明となった岩手県大槌町。町の広報機能が停止したうえ、地元をカバーしていた夕刊紙も廃刊となり、情報を得る事も発信する事も出来ず、震災後は「沈黙のまち」と化していた。
 こうした状況を改善するため、ジャーナリスト育成を行う「日本ジャーナリスト教育センター(運営代表藤代裕之、略称:JCEJ)」と、ボランティア情報をネットで集約・発信しているNPO法人「ボランティアインフォ(代表:北村孝之)」が中心となり、「NewsLabおおつち」を設立。
現場責任者には、元茨城新聞の記者でメディア事業部長も歴任した松本裕樹さんが就き、大槌の新しいローカルメディア「大槌みらい新聞」の発行が昨年8月よりスタートした。
 この日の大槌は、雪模様。山すその住宅街にある「NewsLabおおつち」の拠点を訪れると、古民家の玄関で松本さんが出迎えてくれた。「えーと、ここが編集部になるのかな」と笑みを浮かべる松本さんが、石油ストーブの置かれたリビングへ案内してくれる。机の上に置かれた「大槌みらい新聞」第4号の1面には、
大槌高校3年の臺(だい)隆裕くんがトランペットを吹く横顔の写真が、大きく掲載されている。「1面には、この町の若い人たちを取り上げることにしているんですよ」と言いながらバックナンバーを見せてくれた。読みやすい大きな文字とシンプルなデザイン、スポーツ雑誌の表紙や海外紙のような、斬新なアングルの写真が目をひく松本さんは「取り上げる人物の表情や息づかいを伝えようとおもったら、。こういう紙面になった。
○○○ ○○○○○○○○○○○ ○○○○○○ 古民家のリビングが編集部。元茨城新聞の記者
○○○ ○○○○○○○○○○○ ○○○○○○ ・松本さんが現場責任者として大槌に常駐する。

これでもまだ、思い切りが足りないぐらい」と笑う。

 「小さなメディアだからこそ出来ることはたくさんある」というJCEJ藤代運営代表の言葉の通り、「紙」で町民への情報提供を行う一方、WebサイトやTwitterFacebookを使って外に向けての情報発信を行っている。全国の新聞記者の協力を得て、津波当時の聞き語りを記事にした連載(津波証言)もスタートさせた。運営費のねん出にクラウドファンディングを利用するなど、様々なメディア、新しい仕組みを積極的に活用している。
 さらに「町民レポーター」の育成にも力を入れている。従来は、情報を受け取る側であった町民に、自ら発信してもらう事が狙いだ。学生インターン木村愛さんらは当初「町民レポータになってもらえませんか?」と、仮設住宅のおばあちゃん達に声を掛けて回ったが、「そんな難しいこと、私には無理よ」と渋い反応だったという。
カレンダーの1日1日に町の方の顔写真が写る「町民カレンダー」。「別の仮設住宅に離れてしまった、かつてのご近所さんの元気な様子がわかった」など、好評。
 そこで、町民向けの「写真のワークショップ」を定期的に開催し、カメラの楽しさに触れてもらい、身近な出来事を撮って、いい写真が撮れたら見せてほしい」とお願いした。すると、仮設で時間を持て余すリタイヤしたお父さんやおばあちゃん達が、身の回りの様子をカメラに収め、「撮れた写真を見てほしい」と、声を掛けてくれるようになった。「いつ、どこで、何があった時の写真ですか?」と木村さんらが聞き取りを行い、簡単な記事にまとめてFacebookページに投稿する。自分の撮った写真や記事にたくさんの「いいね」やコメントが付くのを見て、「情報発信すると何が起きるか」ということを体験してもらった。いまでは「写真や投稿が楽しくて仕方ない」と話す町民の方が、日々カメラを片手に町を歩く姿が見られるという。こうした、大槌町民の視点で撮られた写真を集め、東京、横浜、大槌の三か所で写真展「大槌の宝箱」を開催する予定だ。
 震災後、大槌のために頑張りたいという中高生の声が増えたという。一方で、地元雇用の受け皿が少なく人口流出が進んでいる。まちの産業を立て直すためにも、支援者や企業の協力は不可欠だ。その為にも、継続した情報発信は重要な課題となる。
創刊号から4号の紙面を手にした、学生インターンの木村さんと現場責任者の松本さん
松本さんは、大槌みらい新聞の取り組みを ”サッカーチーム”に例えて話してくれた。「Jリーグの各チームが地元でサッカー教室を熱心に開いて若手を育て、その裾野を広げながらチームづくりを進めているじゃないですか。地域メディアも似た形で展開できればと考えています。住民が広く主体となって情報発信するお手伝いを、これからもいろんな形で進めていきたいですね」