世界社会フォーラムinチュニジア その5 エジプトへ

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エジプト入りは3度目にしてようやく実現する!1度目は13年前のハトシュプスト女王葬祭殿での悲惨な銃撃で計画が流れ、2度目は2年前のアラブの春の真っ最中(入国予定の翌日に革命の日となった)で行き先を出発5日前にモロッコに急遽変更した。今回も年明けからアレキサンドリアでの衝突が伝わり、タハリール広場でのデモが活発になってきたり、ルクソールの気球事故など心休まるニュースがない中行けるかどうか最後まで心配だったが、ようやく実現出来た。現地では、観光客が2年前から激減していて至れり尽くせりの旅となる。
カイロの空港に着くとビザを取得しなければならないが、ビザのシールを両替の窓口で購入するだけである、普通ビザの申請には書類の記入や写真を張って日本の領事館に申請に出向く事が多く、15ドルを支払えば誰でもOK とは驚いた。その場所からアシスタントが付き丁寧に手伝ってくれ荷物の取りだしなどてきぱきとこなす。出口にはガイドが待っていてこの日からエジプト滞在中ずっと案内をしてくれた。
翌日はギザの3大ピラミッドとスフィンクスをまずは見に行く。一番大きいクフ王のピラミッドは中に入った、小さな入り口から入り、斜めに木の滑り止めの付いた通路を登って行く、途中からは体を低くして上がらなければならず通路は暗くチカンが多発するというのはわかるが、空いていたからその心配はなかった。たどり着いた所は石棺が置いてある石で覆われた天井の高い部屋で石棺以外は何もない、ピラミッドは王様のお墓だから当たり前だが、壁に彩飾等あるのかなと想像していたがそうではなかった。
しかしその空間はなんとも表現が難しいが、何もないのに独特の雰囲気がありただの場所ではないことを肌で感じた。埋葬した当時は石棺にもちろん王様のミイラとたくさんの財宝、王様のミイラは生き返ると信じられていたので、再度目覚めた時に使う様々な生活道具類もいくつかの部屋に分けて収められていたが、相次ぐ盗掘で殆ど残っていないようだ。
その後スフィンクスを見に行く、ピラミッドから少し離れているが、スフィンクスとピラミッドを一緒にカメラに収めれる絶好のポイントで、それまでは物売りに囲まれるのが大変だったが、ここでは物売りの少年が大活躍。ピラミッドやスフィンクスをバックにポーズを指定する、するとピラミッドを両手に摘まんだショットスフィンクスとキスをしているショット等楽しい写真がたくさん撮れ最高の土産話になる。もちろん少年からはお土産を買ってあげる、商売も色んなやり方があるものだと関心した。
それから3大ピラミッドが見渡せるポイントへ移動、そこで9条タペストリーを広げて全体写真を撮ろうという意見が出て撮ったのだが、それが問題となってしまう。政治不安の情勢下で外国語でかかれたタペストリーは内容を問わず問題になるようで、ガイドさんが顔見知りの警察官に上手く取り合ってくれ大事には至らなかったが、平和を広げようととった行動でもやはりそこは外国である
午後からはカイロ考古学博物館の見学、何と言ってもツタンカーメンの黄金マスクや黄金の財宝は素晴らしく見応えがあり圧巻だった。

ホルス神が王に生命を与えるレリーフ

○○○○○○○○○○○○医療道具のレリーフ

古代エジプト象形文字レリーフ



夕方の国内線でアスワンへ移動し、3泊4日のナイル川クルーズが始まった。船は豪華5つ星で各部屋にはバスタブまで付いている。窓は一面全てで停泊している間はわからなかったが、動き出すと風景画を眺めながらゆっくりと移動するのがよくわかった。船にはレストランはもちろんのこと、ラウンジやサンデッキにはジャグジーやプールまで備わっている。ウェルカムドリンクの振る舞いの後、ディナーを取りサンデッキでワインを飲みながらワイワイと過ごしてその日はぐっすりと寝た。
参加者の方の提案でエジプト観光をクルーズ船でというのは、本当に皆さんもゆったりと過ごして頂けたし荷物は置きっぱなしでよいし、早朝からの観光も暑い昼は涼しい船内で過ごしたり昼寝を取ったりと旅の蓄積される疲れも半減されるしいいことずくめであった。
でも2年前の革命後の治安不安定から観光客は激減していて、クルーズ船は350隻のうち僅か30隻程しか動いておらず、陸路移動の観光客を含めば相当の失業者である。私達の乗った船も決して満室とは言えない、レストランのテーブルも6割位だった。ウェイターは仕事がしたくてたまらないのか、お皿が空くと直ぐに下げコーヒーのお代わりは朝食の度に何度聞かれたことか。
翌日から壮大な数々神殿と5千年の歴史を学ぶ見学が始まった。
(K.OOMURA)