地球へ途中下車第29回

素敵な熟年ご夫婦の1年間世界旅行の記録

前回までhttp://d.hatena.ne.jp/KokusaiTourist/20130429

ポーランドクラクフアウシュビッツワルシャワを、そして旅の準備編も1つ。



2011年09月11日(日) 04時48分42秒
ポーランド
クラクフは国際観光都市】
クラクフは観光大都市だ!
一夜明け、岩塩採掘跡ヴィエリチカにツアー観光で行きました。
地下は何層にも分かれて迷路のように広がっているので個人ではいるのはムリ、ツアーに入って案内してもらわないといけないのだ。
私たちはユースホステルで申し込んだのでグループツアー、もし直接ヴィエリチカに行って申し込めばミュージアムツアーとなる。他に団体客のツアーがある。
多分、みな同じコースを取るのだと思うが全長2kmを歩くことになる。普通に歩いて30分弱、説明、休憩を入れて2時間30分位のツアーだ。もし、コースを外れて迷うことになったら多分…
そんなことが無いようにポイント、ポイントで人数確認をしている。
厳重な監視のもと地下180m?にある礼拝堂にたどり着いた。ここは岩塩を掘りだした空間を利用してできている。

コンサートホールあり、バスケットのコートまである。大ホールの天井からは豪華なシャンデリア、これもソルトクリスタルの細工でできている。
約700年間も掘り続けられ、ポーランドに莫大な富をもたらした採掘場だ。これぐらいの空間があちこちにありそうだ。
クラクフの町に戻り、城壁の門をくぐると正面に聖マリア教会が見える。

聖マリア教会と織物会館に囲まれた市場広場は人、人、人。

こんなパフォーマンスに黒山の人だかり、ダンス曲、馬車のひずめの音が響いている。

今日もお祭り騒ぎが始まりそうだ。
クラクフは3つの世界遺産が見れる場所だ。
クラクフ旧市街地、ヴィエリチカ、それにアウシュビッツ。スケジュールを工夫しても2泊しなければ辛い。
だからクラクフ市街地は毎日お祭り騒ぎ。
世界の観光地なのだ。市内観光に21ヶ国の国旗、両替に13ヶ国(ユーロは1ヶ国)の表示。

かつて塩は貴重品だった。ヴィエリチカの岩塩でどれぐらい稼いだのか。
礼拝堂にある岩塩で作った「最後の晩餐」だけでなく、クラクフの町並み、ヴァヴェル城なども。
そして今日、観光資源として。
金勘定しか気が回らないさみしい夫の記事でした。
最後に日本人だけでなく観光客すべてがクラクフ市街に集まります。
日本人は多分★球の歩き方を参考に観光しているので、日本人遭遇率の極めて高い観光地のように思います。

2011年09月12日(月) 07時14分53秒
ポーランド
アウシュビッツ・ビルケナウにて】
アウシュビッツ・ビルケナウ、この追悼の場所に、どうしても「行かなければならない」、と思ったのは、「二度と同じ過ちを繰り返さない」ために──
そのためには世界中のより多くの人々が一人でも多く、この場所を訪れて、ここで何が行われたのか、なぜそうなったのか、なぜ止めることができなかったのか、自分の目で見て、聞いて、確かめる必要があると思ったからです。
…そのために、ここではどうしても日本語のガイドをお願いしたいと思っていました。
ベルリンのユースホステルであった青年は「アウシュビッツ・ビルケナウには日本語ガイドもあると聞いていたが結局わからず英語ツアーに参加した。途中で日本語ツアーとすれ違った。日本語ツアーに参加したかった」と話していました。
おととい、クラクフに着いてすぐ、メールでアウシュビッツミュージアム職員の中谷さんにメールで連絡したところ、昨日、返事が来て日本語ガイドのツアーに1人40ズォティ(1200円)で参加することができました。今日、10時半スタートで集まったのは全部で14人の日本人でした。
14人中13人がメールで日本語ツアーを申し込んでいました。
一人はたまたま日本人が集まっているので、ここが日本人ツアーの申込所かと思って声をかけたとのことでした。中谷さんは快くツアー参加を認めてくれました。
アウシュビッツ・ビルケナウについては、あえて何も書きません。平和な(?)いまの時代に、何が大切か、一人ひとりがどうすることが必要なのか、このブログを読んでいる人の多くはアウシュビッツ・ビルケナウを訪れることができると思います。
日本では戦後が風化してきていますが、アウシュビッツ・ビルケナウは決して風化していません。来場数は増えています。
日本のみなさん、一人でも多く、アウシュビッツを訪れてください!
中谷さんの了解を得ていませんが(『歩き方』にも書かれているので大丈夫と思います)、メール mailto:nakatani@wp.pl でぜひ日本語ガイドツアーの参加を申し込んでください。もし、メールできなかったら、朝一番の電車、バスに乗って「アウシュヴィッツミュージアム入場棟内」付近に集まっている日本人グループを捜してください。
中谷さんはこの20年間、ほとんど休み無しでガイドをされているそうです。運悪く、ガイドをしてもらえないのは彼が出張中でガイドができない時だそうです…。
             9・11から10年目の歴史的な日に──

「労働すれば自由になれる」─欺瞞であることを告発するささやかな抵抗として作業をさせられた収容者が「B」の文字を逆にしたアーチ

アウシュビッツ

ビルケナウ。各地からのものすごい数の引き込み線はやがて一本になり、いったんこの死の門をくぐると、二度と出ることはない。

収容者が搬送されてきた貨車











2011年09月14日(水) 16時41分12秒
ポーランド
【美しくも悲しいワルシャワのまち】
まちには、それぞれそのまちの表情や空気感があります。
現地に行ってみないとわからないこと─
ポーランドではそのことひしひしと感じました。


ワルシャワのまちはきれい─。中世のまちがとてもきれいな状態で残っている…。
それは戦争で一度破壊されたあと、元とおりに再建された、復元されたまちだから─
…それだけを読むと、「うーん…?」、それならクラクフのほうが本物の中世が残っているぶん、見に行く価値はあるかな…と思っていました(クラクフアウシュビッツへのアクセス都市でもあり、戦時中、ドイツの士官がヴァベル城を占拠していたことなどもあって、攻撃・破壊を免れました。皮肉なことにそのことが現在、クラクフに観光客をたくさん誘致し、アウシュビッツに足を運ぶ人も増加させる、という結果になっています)。
ワルシャワ蜂起記念碑を見るまでは…
1944年、解放のときは近いと判断したワルシャワ市民はドイツ軍に対して一斉に蜂起しました。しかし、頼りにしていたロシアからの援軍は間に合わず、市街地のほとんどを破壊され、20万人の死者を出し、降服。
ワルシャワ蜂起記念碑は蜂起45周年を記念して建てられたものですが、どの表情からも、自分たちのまちを守ろうとして一般市民が立ち上がり、かなわなかった痛恨、まちを全壊させてしまった無念、多くの死者を出した悲しみがひしひしと伝わってきました。
戦争が終わったあと、生き残った市民がなぜ、もう一度、まちを元通りに復元しようとしたのか、その気持ちがここに来て理解できました…。
復元作業は全市民が協力して1人1人の記憶をたどり、レンガの欠け具合、壁のひび割れ一筋さえも元通り正確に、復元されたそうです。
それはまちを失い、愛する人を失い、すべてを亡くした市民にとっての、亡くなった家族や友人への追悼、思い出が詰まったまちをなんとかもう一度、取り戻したい、そんないたたまれない気持ちだったのでしょうか。
ワルシャワのまちは、まち全体がおそらく追悼碑なのです…。
…日本にいると戦後はもう遠い過去に思うのに、ポーランドに限らず、ヨーロッパを歩いているとまちのあちこちで、第二次世界大戦を記憶するもにに出会います。モニュメントであったり、無名戦士の墓であったり、不戦の火であったり…まちがいまも戦争と平和の大切さを忘れずにいる…。
戦争の傷跡が深いポーランドでは特にそのことを感じさせられました…。



広場では写真展も行われていました。向いは教会も建てられていて、祈りをささげている人がいました。
この記念碑の場所にたどりつくのに何人か地元の人にガイドブックの写真を見せて道を尋ねました。何人目かで地元のおばあさんが「それなら一緒においで」、と連れていってくれました。
おばあさんは一生懸命、私たちに話をしてくれました。途中で涙ぐみそうになりながら…私たちはポーランド語がまったくわからなかったのですが、なぜか内容がとてもよく理解できたのです…。
「私はそのとき、このまちにいたのよ。○○も、○○も亡くなった。なんにもなくなった。で、みんなでまちを元通りにしたのよ」って、日本から来た旅人に説明してくれていることが…














2011年06月22日(水) 14時17分22秒
旅の準備編
【冷蔵庫のなかの未確認エリア】
一年間の旅行。出発する日に向けて、妻は目下、家の中じゅうを整理しています。
…これって旅行前だから特別ってことではなく、
 普段からやれよ。
って話ですね! 大合唱がフルコーラスであちこちから聞こえてきそうです。
特に冷蔵庫は電源を止めていくので、完全に空にして掃除していかないと、帰ってきとときのことを想像すると開けるのがコワイです…
さて、食品整理に関する基本方針を発表します!
開封で賞味期限が1年半以上ある常温保存の物はひとまとめにして残す。
開封で賞味期限が1年半以前のものは人にあげるもらっていただく。
封を切っているものはできるだけ使って、最後のゴミの日に捨てる。
で、一気に捨てるのはさぞ大変だろうと、今からゴミの日の度にすこしずつ出していこうと、あらためて冷蔵庫の奥をのぞいてみました。
……
あるわ、あるわ、賞味期限切れのキムチの元、どろソース。タバスコはもはや期限すら確認できなくなっています。いつ、何に使うか、自分でもわからんカルパッチョソースにエスプレッソソース…。
これまでの人生のなかで妻は幾度、いくど、「これからは冷蔵庫のサイドポケットの卵入れには卵を入れよう」と心に誓ったことか! その誓いは幾度となく裏切られ、王将の餃子のタレ、ほか弁の魚しょうゆ、ファミレスでもって帰って来たジャムやバター、そばつゆ袋などのたまり場、定宿と化し、それらのごちゃごちゃした小物で埋め尽くされ、結局卵は買ってきたままのぷらっちっくのケースのままで、別の棚の隅に追いやられています…
う〜ん、生活をリセットしてみるのって、いろんな意味で重要ですね!…。
…っていうか、これ、完全に旅ブロの記事じゃないですよね!?
( ̄_ ̄ i)