地球へ途中下車第35回

素敵な熟年ご夫婦の1年間世界旅行の記録

前回までhttp://d.hatena.ne.jp/KokusaiTourist/20130511

今日はルーマニアからブルガリアです。

2011年09月30日(金) 03時45分06秒
ルーマニア
【国民のとは名ばかりのチャウシェスクの館】
ブカレストでの楽しみは、故チャウシェスク大統領が造った未完の宮殿、国民の館。
日本円で1500億円かけ贅沢のかぎりをつくしてつくられた。

この外観が国民の館正面。比較するものが無いのでその大きさはわからないと思いますが、とにかくでかい。
世界で2番目、ペンタゴンの次に面積の広い建築物らしい。

ここはガイドツアーでないと入れない。チケットを買おうとチケット売り場のある北側からを50m離れて囲んでいる柵の入り口で、警備員に「見学したい」「今日はやっていない。
10月 12日までクローズ」
「? ! ?」
追い返された。
周りを見ると雰囲気がおかしい。そういえば観光客が1人もいない。入り口には見学ツアーの表示はあるが、中止の表示は無い。見ると3人の観光客がやって来る。そして警備員としばらくやり取り、最後には入るのを諦めて帰っていった。要するに見学できないのだと後ろ髪を引かれる気持ちで柵に沿って統一通りから統一広場に向かうことにする。途中、出口の表示がある門にさしかかるとルーマニア人がぱらぱら出てきた。

今度は統一通りに面した建物の正面にやってきた。ルーマニア人らしき人物がやはり何人か出入りしている。気持ちを新たにして再度警備員に聞くとやっぱり「クローズ!」との答え。そのとき出てきたルーマニア人が我々の話を小耳に挟んで突然、我々に「入れ入れ」といった。警備員がそのルーマニア人に何かを言った。ルーマニア人は声を荒げて、「入れてやれ。どうしてそんなことを言うんだ!」とやりあっている様子。再度「入れ、入れ」といったので警備員を気にしながら入っていった。警備員は何も言わなかった。

国民の館の前に着くと、旅行会社が「冬の休日」と名づけたビジネスショーのような展示会をやっていたのだった。それで観光客向けのビジットツアーはクローズだということらしい。入場料(1人20レイ)を払って展示会場に入る。

数々の装飾を見るとわかるが現在の技術力を持って独裁権力の集中で贅の限りをつくして宮殿を造れば、今まで見た宮殿が足元にも及ばない豪華さになる。エルミタージュもベルサイユも顔まけだ。

床の大理石のモザイクも半端ではない。


展示会場として使われているスペースだけでもこの豪華さなので、見学ツアーで見られる部屋の豪華さは一体…。

でもせっかく前まで来たのだから中に入れてよかった。
やっぱり、ルーマニア人は人情があるように思います…。

パリのシャンゼリゼをまねてつくったという統一通り










2011年10月01日(土) 20時06分16秒
ブルガリア
バラとヨーグルトの国(?)、ブルガリア

ルーマニアブカレスト・ノード駅発23時22分のブルガリア・ソフィア行きが10分遅れてホームに入ってきました…

朝、駅でスリーパー(寝台車)を予約しようと申し込んだところ、「ない。満室。」と言われた。「えっ…そんな?(そんなに混んでると思えない)」と、とまどっていると、そこにルーマニアでガイドの仕事をしておられる日本人がたまたま通りかかられ、窓口で詳しく聞いてくれました…その列車はロシアのモスクワから来る列車でこの駅で販売できるスリーパーの数が限定されているらしく、車内で直接ロシア人の車掌に交渉すれば、空きがあれば、たぶん買うことができるだろうと。ふんふん。
…交渉成立。なんとか個室寝台を確保したけれど、1時ごろ出国のパスポートコントロール、2時頃、ブルガリア入国のパスポートコントロール。なかなか寝てる暇がない…
ブルガリア・ソフィア駅に到着です!

でも首都駅なのにこの荒廃ぶり…。

まちなかも道路の整備が遅れていてあちこちガタガタです。
社会主義から資本主義への転換に伴う経済混乱がまだまだ続いているのか、加えて世界的経済低迷が追い打ちをかけているのか…それともあまり気にしていないのか…

でも、まちはにぎやかで活気があります! ルーマニア人同様、人々は親切で、ごはんは安くておいしい…。物価も東欧(中欧)の国一安いです…

それではいざ、バラとヨーグルトの国、ブルガリア、探索開始です!

2011年10月01日(土) 20時12分14秒
ブルガリア
【異文化な教会めぐり】
ソフィアのまちはあるいて回れる場所にいろいろな国の支配を受けてきたブルガリアの歴史を知ることができる教会がたくさんあります。

聖ゲオルギ教会です。4世紀、ローマ帝国によって建設。手前に見えているのはローマ時代の浴場の跡だそうです。

14世紀、オスマントルコ統治下時代のブルガリア教会、聖ペトカ地下教会です。かわいそうにはんぶん地下に埋まっています…。抑圧されていたのですね。
一方こちらは同時代のバーニャ・バン・ジャーミヤ寺院。オスマントルコの教会で近くにあります。立派です。

1800年代はロシアによる統治時代です。アレクサンダーネフスキー寺院。
こうして教会めぐりをしていると、ほんとうにこのあたりは、古くはローマ、そしてオスマントルコと、ロシアと、大国に常に綱引きされてきたのだなと感じます。ブルガリアはずいぶんと離れているのにロシアと同じキリル文字を使っています。

ヨーロッパ全体が、古代、中世から地続きで、ずーっと、その時々の勢力によって地図の色がしょっちゅう塗り替わることを繰り返してきたのだろうな、感じがします。隣あっている国はどこか似ていて共通する部分があって、移動していくとそれがグラデーションのように移り変わっていきます。

でもいずれ、EUとしてか、ヨーロッパ全体としてひとつの経済圏、ひとつの国になっていくのだろうな、という気がします…

ヨーロッパにいるとアメリカはいろいろな意味で遠いです。アジアも遠いです。このあたりはアジアは中近東のあたりのことを指して言うようです…。