地球へ途中下車第38回

素敵な熟年ご夫婦の1年間世界旅行の記録

前回までhttp://d.hatena.ne.jp/KokusaiTourist/20130519


今日からイタリア滞在、各地を巡ります。

2011年10月09日(日) 03時28分41秒
イタリア
【アルベルベッロの我が家!】
…イタリアはバーリの港に着きました!


イタリアもこのところ経済不況で格付けが下がったとか聞いていたので、ギリシャと同じように荒廃しているのでは?という不安だったのですが、電車もちゃーんと動いているし、駅の表示もしっかり。治安も悪くなさそうで、安心しました。国鉄バーリ駅の一番おくのホームから出ている SUDE EST鉄道で1時間10分。アルベルベッロへ。

三角円錐形の石の家(トゥルッリ)の集落のある世界遺産のまちです。


このトゥルッリには諸説あり、すぐに壊せるため、小作農を住まわせる住居だったとか、役人が税金を取り立てにきたら、屋根をはずして住居ではなく、物置小屋だと言い逃れれるための税金対策だったとか…。
屋根の上にかかれたマークは魚や鳥を表したものなど何種類かあるようですが、今では意味のわからなくなっていものもあるようです。

まちはポポロ広場を中心に左右に広がっており、土産屋などが連なる完全に観光用になっている地域と居住用の地域とに分かれています。


ここでの宿泊はトゥルッリを予約。booking.comで一泊79ユーローでした。トゥルッリホリデーリゾートという会社で駅前にレセプションがあり、チェックインすると、今夜泊まるトゥルッリまで連れていってくれます。
居住地地区のなかにある一軒家で、アルベロベッロの住民になったきぶんです。
♪狭いながらも楽しいトゥルッリの我が家です!


ゴハンの買い物をして帰り、鍵を開けて家に入り、夫がシャワーの間、妻は夕食の支度をして、テレビを見ながら夕食。
んんん〜久しぶりに味わう我が家感です! ユースではキッチンは共有だし、ダイニングでの食事もやはり他の宿泊客も大勢いるので、気をつかう部分がありますが、ここはほんとに一軒家。道ゆく人の話し声が聞こえたり、窓を開けておくと通りが見えたり、中世のまちの暮らしも体験できます。

…あまりにも住み心地がいいので、本当は明日ナポリに向かう途中でマテーラに行く予定だったのですが、ここにもう一泊して、翌日のマテーラにはここから通うことにしました…


…ところでイタリア、他のヨーロッパの国と比べて段違いに食のレベルが高いです!

これまでヨーロッパ各地で、ピザもパスタもそれぞれ3回ぐらい食べて、まずくて、「もうイタリアン、嫌いになりそう…」っていうぐらいまずくて、「本場のイタリアはどうなんだろう?」と内心心配していたのですが、安心しました!

お店で食べたスカンピ(手長エビ)のパスタ

イタリア、めっちゃおいしい!
この差、一体なんなんでしょうか?
そしてそこらのお店で量り売り、切り売りで買う生ハムも安くておいしい!


今夜の我が家ディナーはパルマハム(生ハム適当に切ってもらって2、8ユーロ)と、ピコリーノチーズ(これも適当で2、5ユーロ)、塩漬けオリーブ(しゃもじ一杯1ユーロぐらい)にサラダ(野菜だけ1、8ユーロー)。ピーチ…いくらか忘れた。

久しぶりに胃が喜んでいます!







2011年10月10日(月) 05時06分42秒
イタリア
【洞窟住居マテーラ】
マテーラの洞窟住居です。


石器時代から5000年〜6000年にわたって、ずーっと同じ場所に人が住み続けてきた珍しい場所だそうです。

川の向こう側には捨てられた古い時代の洞窟住居跡がみられます。

教会も洞窟。


おもに迫害されたきた人々や戦前には小作農などの住居になっていました。
1960年代に、国の政策として、マテーラの人々に新市街地に新しい住宅を与え、さらにマテーラの土地の所有権も与えるという大英断で、大規模な移住が行われるまで、この電気もガスも水道も通っていない洞窟の家に多くの人々が暮らしていたのです。

=========

9日、ナポリに着きました!
バーリからローマ行きに乗り、途中で乗り換え、約3時間半。列車の窓からおーおー、ベスビオ火山が見えてきました!


ナポリと言えばイタリアのなかでもピザの発祥の地!ユースホステルの近くにも何軒もピザ屋があります。大きな石窯の前で、エプロンは着けているけど、上半身は丸首半そで白シャツのとうちゃんが、ピザを焼き続け、ヒデとロザンナロザンナみたいなマンマが大きな声と大きな身振り手振りでてきぱき店を取り仕切っています。

テレビの前ではここんちの子どもたちでしょうか。晩御飯前の虫やしないに、ポテトのフライとソーセージをもらって食べています。…めっちゃ庶民的というか、ちょうど家族経営の大阪のたこ焼き屋とか、さぬきうどんの店みたいな感じです…。

しかし、ピザ、バリうまし!
(・∀・)

ボーノ!ボーノ!

2011年10月11日(火) 06時53分47秒
イタリア
ポンペイ遺跡…火山に飲み込まれた街】

子どもの頃に読んだ本は意外と覚えているものだ。心ときめかせて読んだ『ポンペイ遺跡の発掘』もそのひとつだ。今日、そのポンペイ遺跡に行った。


ポンペイ遺跡のジュピター神殿から、遠く離れたヴェスーヴィオ火山を見る。ポンペイの人々もきっと日頃からこの美しい山を見上げていたのに違いない。


今、ポンペイの街は、観光客の声が響く以外は何もない静かな廃墟の街だ。発掘された家屋も壁が崩れ、天井が抜け落ちている。


西暦79年に火山の大爆発により壊滅したポンペイ。日本では西暦57年に倭の奴国の国王が後漢に使いを送った(後漢書東夷伝弥生時代に、下水道が完備した都市、この建築物を造った文化の高さに驚くばかりだった。
ガイドを見ながらここは「悲劇詩人の家」「ステファンの洗濯屋」「公衆浴場」など、面影を追いながら見て回った。冷たい秋風が砂塵を巻き上げ、神殿の円柱も心なしか寂しい。

円形闘技場。体育館も劇場もある。


夕方、国立考古学博物館に行って、ポンペイ遺跡の発掘物を見た。
ジュピーター神殿、アポロ神殿に飾られていた彫像、各家の床を彩っていたモザイク画、ワインを飲んだガラスのコップ、数十個の卵焼きが一度に焼けるフライパン、鍋、釜、手術道具に至るまでポンペイ2万人の人々の身の回り品が発掘され展示されている。
また、今もその水が飲める水道のその当時の蛇口だ。実に12(ヶ所)個ある。


先に国立考古学博物館を見学してからポンペイ遺跡を見ると、その当時の生活が想像できポンペイの人々の豊かさを知ることができる。廃墟に博物館で見た豪華な品々を想像のなかで配置することで、ポンペイへのイマジネーションが広がると思う。


ところで、ポンペイ遺跡は世界中から観光客が来る名所だ。そのためか、周辺に3つの駅がある。ユースホステルで知り合った青年はポンペイ遺跡駅に行ったのだが時間がなかったせいか遺跡を見つけられなかったそうだ。行く時は注意してね。

夜はスパッカナポリナポリの切れ目)

(なるほど、両側の高い壁に挟まれた細い通路)
で、評判のピザを。
マルゲリータロマーノ。4ユーロー。

確かにうまい!飽きない!