地球へ途中下車第39回

素敵な熟年ご夫婦の1年間世界旅行の記録

前回までhttp://d.hatena.ne.jp/KokusaiTourist/20130525

今日はナポリ、ローマの3日間です。

2011年10月12日(水) 05時01分28秒
イタリア
カプリ島 青の洞窟】
はじめて市立図書館に一人で行って選んで借りた本が『世界の七不思議』。ちょっぴり大人になった感じを覚えている。そこに書かれていた「青の洞窟」なんとイタリア、カプリ島の話と知ったのは旅行に行く直前。
そして昨日と同じように期待に胸をふくらませカプリ島へ。
実はナポリに到着した一昨日は雨、ユースホステルでその日は「青の洞窟」に入れなかったとのこと。ユースホステルのスタッフの話では、昨日より今日のほうが条件が良いとのこと。昨日のポンヘイ遺跡の観光は晴れ。ちょっぴり昨日のほうが良かったかなと思ったが、朝の天気予報で今日はより天候は良く絶好の観光日和。
「日頃の行いが…」。
カプリ島へ行く水中翼船に乗ると周は日本人だらけ。おおよそイタリアと思えない。この船では日本語で悪口を言うのはよそう。カプリ島は日本人遭遇率が高い観光地のひとつだ。

45分間でカプリ島に到着しチケット売り場へ。「青の洞窟」はクローズ、と言われ意味がわからない。カプリ島は絶好の快晴だ。聞き間違いと思い再度「青の洞窟へ行きたい」今度は窓口の下に置いてある看板を指差し「青の洞窟」はクローズ。カプリ島は快晴なのに「青の洞窟」はクローズ?思わず日本人ツアーのガイドに本当?と聞いてみた。ツアーはカプリ島を一周する観光に変更したとのこと。

あまりのショックに後はよく覚えて(写真を撮って)いない。ケーブルカーでカプリセントラルに行きショッピングウィンドーをしり、ベンチの座り、暖かい日差しを受けまどろむだり。
やっとの思いでナポリに戻りユースホステルに戻る途中、乗ってバスがエンジンオイル漏れで道路上で立ち往生。次のバス停まで歩く羽目に。今日はついていなかった。

明日はローマへの移動日。明日の午前中にカプリ島に再チャレンジするのか、まだ決めてない。










2011年10月13日(木) 17時16分05秒
イタリア
【ローマへ】
カプリ島・グロッサアズーラ(青の洞窟)へ、フェリー往復1人34ユーローかけてでも翌朝、再チャレンジしようか? …とも思ったんですが(確立30%以上だったら、朝いちのフェリーで行ったかも?)、ここ6日間連続でクローズしている、という話、カプリ島で出会あった青年の「これでカプリ島に来たのは10回目だけど、まだ一度も行けてない」という話を聞いて、あきらめ、後ろ髪ひかれながらローマ行きのインターシティに乗りました…。
<教えてください>ご存知の通り青の洞窟は20名位の手漕ぎのボートで出入りするのですが、どんなに計算しても1日3000名前後しか入れない。快晴の昨日でも午前中にフェリーが20隻以上到着し、5000名以上がカプリ島に上陸したと思います。青の洞窟の観光キャパと訪れる観光客の数があまりにもアンバランス。青の洞窟の入るためには何か一工夫が必要と思い諦めました。ここ1〜2年で青の洞窟に入れた方教えてください。

ローマの宿はローマ中央(テルミニ)駅から地下鉄とバスを乗りついで1時間、キャンピングビレッジのなかのバンガローです(市内の便利な場所のユース満員)。

… ユースのドミトリーが避難所生活なら、こっちは仮設住宅、って感じです! でも、ま、快適。いちおうプライバシーがあるし、二人一泊43ユーローという値段もどこよりも安いです。
バチカンローマ市のなかにある世界で一番小さな独立国で、サンピエトロ寺院はキリスト教の総本山です。

クーポラから見たサンピエトロ広場

映画「天使と悪魔」を思い出します。

おなじくバチカンのなかにあるサンタンジェラ城

法王の住まいになったり、監獄になったりしていたそうですが…ルーマニアのブラン城より、こっちのほうがドラキュラ城っぽいです…。



バチカンに沈む夕日…











2011年10月14日(金) 05時52分31秒
イタリア
【ローマには脱帽】

いやー、しかしローマには脱帽です。ローマはやっぱりすごいですねー。
かつて地中海沿岸全体を支配した一大帝国、その発祥の地の遺跡がいまだにそのままいまの都市のどまんなかに残っているんですから…

今日は定番のローマ観光をしました。

スペイン広場
ウオーリーをさがせぐらいのサイズで、「ローマの休日」のオードリーヘップバーンを気取った妻がおります。

トレビの泉です
もう一度ローマに来ることができるように、後ろむきにコインを投げ入れました。


コロッセウム
2000年前の建築物です。本当は大理石に覆われていたようですが、後世、教会の建設などに取っていったため、レンガがむき出しになっています。遠征支配拡張する一方の内政不安で、農村部で生活できなくなった市民が大量にローマに流入し、スラム化が起こったとき、政策的に建設されたのが、市民のストレスを解消するための闘技場と大衆浴場だったそうです。格闘士と猛獣、ときには格闘士同士を戦わせるという凄惨な戦いに市民は熱狂していました。
真実の口

うそつきはどっちだ!?