地球へ途中下車第61回

お断り:当ブログ編集者が1週間ほど編集に関われない環境におかれますので、この週末の連載を1、2日ほど早く掲載させていただきました。
素敵な熟年ご夫婦の1年間世界旅行の記録


前回までhttp://d.hatena.ne.jp/KokusaiTourist/20130803

2011年12月14日(水) 07時03分09秒
スペイン
【インドのカレーぐらいの遭遇頻度の、スペインのバル】
本日、王宮は公式行事のため。クローズ…

サン・イシドロ教会、デスカルサス・レアレス修道院などを、まじめに見学しましたが、撮影不可…。

……

…パエリアに走りました…

ところで…
「スペインでは一回ぐらい本場のBAR(バル)に行けるかなっ?」…と思っていた妻。
…それは「インドでカレーが食べられるかな?」というのと同じぐらいのレベルの疑問だと知りました…。

今朝から、すでに3回、行きました…

日本(関西)でBAR(バル)と言えば、バルマル・エスパーニャとか、オサレでお値段、ちょっとお高いめの店として知られており…、
しかしスペインのバルは、めちゃめちゃ庶民的で、大衆食堂と喫茶店と居酒屋とコンビニを足して4で割ったような、モーニングやっていて、昼ご飯も食べれて、コーヒーはもちろん、お酒が飲めて、おやつ食べもありで、場所によってはトイレだけ貸りるのもあり、公衆電話、自販機、ゲーム機ありの、探す必要ないぐらいそこいらじゅうにあるスペイン庶民のまちの社交場です。

まず朝ごはんで利用。

カフェオレとカウンターに並んでいるサンドイッチやスペインの揚げパン・チュロスなんかを選んで2人で5,2ユーロー。周りを観察すると、どうもチュロスはカフェオレに浸して食べるのが通らしい…。

昼過ぎ。泊っているホステルの隣にもあるので、コーヒーをテイクアウトしてホステルの部屋に持ち帰り休憩。一杯1,2ユーロー。

夜。流行っていそうな店で、ビール2杯にエスカルゴもどきで7,6ユーロ。

オリーブは無料で付いてくるようです。ビールやワインはグラスが小さく一杯1,2ユーロぐらい。おつまみも1品2〜3ユーロぐらいで、カウンターや立ち飲み。アジアの屋台感覚です。一軒に落ち着かず、あちこちはしごをするようです。


こ、これは……たのしい〜!

夫と妻、すっかりBAR(バル)が気にいってしまいました!

ヨーロッパのレストランの値段の考え方、「高いけど、そのぶん量が多いやろ?」…というのと違って、盛りが小さく、値段安いです。そういうの、好きです!



夜のマイヨール広場。
あっちでもこっちでもクリスマスマーケットをやっていました。




夜のプエルタ・デル・ソル広場
新年は南米に行く飛行機のなかで迎える予定をしていたのですが、あまりにも楽しそうなまちの雰囲気に、
カウントダウンはマドリードのプエルタ・デル・ソルで過ごそうかな? と検討中です…

明日はバルセロナに移動します。






2011年12月15日(木) 08時02分40秒
スペイン
ピカソゲルニカの前で】
国立ソフィア王妃芸術センターに行った。


国立ソフィア王妃芸術センター前のオブジェ

目的はピカソゲルニカを見るため。



2m先にゲルニカがある。黒山の人だかり。
その作品の大きさに圧倒された。
当時、内戦がはじまっていたスペインバスク地方のまち、ゲルニカに対してナチスドイツが空爆をおこなった。
それまで(第一次世界大戦まで)の戦争では戦場で死ぬのは兵士だけだったのが、初めて市民に対する無差別攻撃で大勢の非戦闘員(国民)に多大な被害がでた。1937年のパリ万国博覧会ピカソが訴えた戦争の悲惨さをあらわした「ゲルニカ」。
絵の前でスペインの10数人の小学生が数組座り込み教師の説明に聞き入っていた。日本人ツアー観光客が2組、同様に他の2〜3ヶ国のツアー観光客が絵の前でガイドの説明を聞いている。見るとオーディオガイド(日本語は無い)を聞いている観光客もいる。聞き入る真剣さ、見つめる目の真剣さがゲルニカの前に異様な雰囲気をかもし出す。近くの展示室では戦争の記録映画の上映され、否が応でも戦争があったことを身近に感じさせられる。
ヨーロッパ観光で何回も感じた、戦争を忘れない、忘れさせない空気がそこにもあった。戦争は過去の話ではないのだ。

ピカソは、スペインが独裁政権から民主化されたら、ゲルニカをスペインに返してほしいということ、さらに最終的にはバスク地方ゲルニカを戻してほしい、と遺言していたらしい。スペインには戻ってきたが傷みが激しいため、バスク地方への移動はどうなるか。

ゲルニカの切手はよいお土産になるよ」と急に声をかけられた。「郵便局では入手できないがマイヨール広場に行けば安いところで2.5ユーロ、高いところで5ユーロで買える」スペインに在住する日本人だった。

サンチアゴ行きの飛行機はここ、マドリッド発。その時にゲルニカの切手を買うことができるのか、そして、それは実際に日本に送る絵葉書に使えるのか。そんな宿題をもって、スペイン鉄道が誇るAVE(高速鉄道)に乗り、バルセロナに旅立った。

なんと、2等車にもイヤホンサービスがあり好きな音楽チャンネルが聞けた。しかし、残念ながらユーレイルパスは3ヶ月が過ぎており使えない。もし使えていたら1等車で食事サービスが受けられたのになあ…。

絵葉書を撮影


2011年12月16日(金) 18時37分06秒
スペイン
【その情熱は狂気か天才か?アントニオ・ガウディ
スペイン、カタルーニャ地方、バルセロナ

堂々たる威容のサグラダファミリアです。
実はサグラダファミリアはまだ建設途中で、全体像の完成は2030年の予定だそうです。…建築中の建物がすでに世界遺産、っていうのもすごいですね。
2030年に完成したらもう一度、見に来たいです。

…どうしてガウディの死後も建築が続けることができるかというと、綿密な設計図があるからなんですね。
ガウディはいきあたりばったりの才能がほとばしるような情熱家だったのか?…と思いきや、かなり幾何学的で緻密な計算されつくしたプランに基づいてサグラダファミリアに取り組んでいたようです。
まず外観は、引力に引っ張れれて落下していく物体を水に映してさかさまにし、天に伸びていくようなフォルムに仕上げられています。天に向かって落ちていく発想ですね。

そして内部は巨大な木が林立する森のなかに入ったような安らぎが得られるようなデザインになっています。


ガウディは自然のなかに存在する幾何学的デザインやリズム、蜂の巣の六角形やカタツムリや水のうすまきの法則、植物のラインなどに深く注目して、それを建築デザインに取り入れているのです。すごいです。一人の人物の才能と情熱に圧倒されます。それだけでスペインを感じてしまいます。
しかも建築費用が足りなくなると自ら、まちで物乞いをしていたといいます。


東の「生誕のファザード」


こちらは世界遺産サンパウ病院。


1830年にガウディのライバル、モンタネールによって先に建築されたこの病院は「芸術には人を癒す力がある」をコンセプトにつくられたそうです。そして何がすごいかって、いまも現役の病院なんです。構内は自由に見学できます。白衣のドクターやナース、患者に交って観光客がうろうろしています。

…ガウディのサグラダファミリアは、サンパウ病院と対峙するように歩いて20分の距離のまっすぐな通りの向い合わせに建っています…。ガウディがサグラダファミリアの建築を依頼されたとき、この両手を広げて人々を迎え入れるような、芸術が人を癒す…がコンセプトのサンパウ病院のことをかなり意識していたそうです。
同じ位置から見たサンパウ病院と


サグラダファミリア

ガウディは晩年、サグラダファミリアの建築に没頭し、寝食構わずに作業場に泊まり込んでいたそうです。ボロボロの身なりで市電に轢かれたとき、誰もが浮浪者の老人と思勘違いし、偉大な建築家のアントニオ・ガウディだとは気がつかなかったそうです。ちなみに運び込まれた病院は皮肉にもサンパウ病院でした…。


こちらは高級住宅地として建築を依頼されたグエル公園



ガウディの代表的建築です。未来都市を予感させる斬新なデザインで、いまでも市民の憩いの場になっています。