地球へ途中下車第62回

お断り:当ブログ編集者が1週間ほど編集に関われない環境におかれますので、この週末の連載を1、2日ほど早く掲載させていただきました。

素敵な熟年ご夫婦の1年間世界旅行の記録


前回までhttp://d.hatena.ne.jp/KokusaiTourist/20130810

2011年12月18日(日) 04時20分18秒
スペイン
【遥かなる孤独のコルドバ
バルセロナ最後の日は、旧市街にある「ピカソ美術館」へ。
ここにはピカソの幼少期から青の時代、ばら色の時代、つまりよく知られているキュービズムに移行する以前の子ども時代から若き日のピカソがどんな絵を描いていたか?その作品が多数展示されています…


ピカソってやっぱり桁外れの天才です…
幼い頃から超早熟でプロの作家なみの精密な写実主義の絵を描き、10代ですでに才能を開花させ、セザンヌゴーギャン顔負けのレベルに到達し……、あとの人生は、余裕で新しい技法を思いついては遊んでいたのではないでしょうか?…という気がしました。彼にはふつうの人の3倍ぐらいの人生の時間があったんではないでしょうか?


…そのあと、サンジュセップ市場が近いので行ってみましたが、ここは(も)観光地市場でした。高い…なかにあるバルも観光地品質。それよりも、サグラダファミリアのごく近くに、やや閑散としていますが、近所の人が晩ご飯の買い物に来る市場を見つけました。ここは値段も信じられないぐらい安くてお店の人も良心的で親切です。100グラム3,5ユローの生ハム、職人技でぴったり100グラム、スライスしてくれました。お惣菜も揃うし、買って帰って食べるぶんにはこちらをおすすめします。

…ところで、夫と妻、これまでそれレベルの生ハムしか買って食べていなかったのですが、昨日、奮発してその倍の値段(100グラム6ユーローぐらいする)のを食べてみたんですが…。

…まぐろの赤身と、中トロぐらいの差がありました…

夜のカサバドリュ(ガウディの建築物)

さて、夜も更けて、バルセロナ北バスターミナルへ移動しました。深夜バスで14時間。
…一夜明けてアンダルシア地方のコルドバへやって来ました。


コルドバはスペインの詩人ロルカがその詩のなかで「コルトバはるか一つ」「遥かなる孤独のコルドバ」と読んだまちです…。白い建物のユダヤ人街があります。

スペイン南部らしい風景です。


でもこのまちはイスラム文化が花開いていた時代、キリスト教イスラム教徒を一掃して…そんな攻防が続いた世界遺産のまちです。

メスキータ。

錯覚を起こしそうなみごとなアーチが林立していますが、なかにはモスクと教会が混在しています。



…まちをぶらぶらあるいていて見つけた居酒屋(タブラオ)で夜、フラメンコのショーを見に行きました。食事をするだけで見られました。
ものすごい迫力! またまたスペインの情熱に圧倒されました…


オーレ!






2011年12月19日(月) 04時51分30秒
スペイン
アルハンブラ宮殿ロルカの思い出】
コルドバからバスで4時間。グラナダへやってきました!

目的はなんと言っても世界遺産アルハンブラ宮殿です。
午前と午後とで入場制限があり、予約が望ましい、となっていたのですが、インターネットから前日では申し込めない。…直接行くしかない! バスがグラナダへ着いたのが11時。まず市内行きのバスで予約しておいたホテルへ荷物を置きに。道に迷って、バス停に迷って、アルハンブラ宮殿のチケット売り場にたどり着いたのは1時前。
でも、1時半からのチケットが取れました!

丘の上のアルハンブラまでは市内を走るこんな赤い循環バスに乗って行きます。


そのあまりの美しさに
「王は魔法を使って宮殿をつくった」と言われたアルハンブラ


アラビアンナイト千夜一夜物語の世界に迷いこんだようです…

まるで石でできたレースのような細かい細工! ほんとうに魔法でつくったみたいです。
イスラム文化の結晶です。

グラナダではもう一か所、どうしても行きたい場所がありました。
グラナダ生まれの詩人、フレデリコ・ガルーシア・ロルカの記念館です。
妻、スペインは、ピカソ、ガウディ、ロルカ、この3人が目的だったのです…。

ロルカは詩人、劇作家としてスペインでは著名な人物で、画家のダリとも親交が深かったそうです。自由と民主主義を愛し、フランコ独裁政権に反対し、行動するロルカは1936年、軍によって銃殺されます。
公園のなかにあるロルカ記念館は45分ごとにガイド付きツアーで館内を見せてもらうことができました。この日も大勢のスペイン人の若者が見学に来ていて、一緒でした…。


…妻が高校生のとき、生まれてはじめて5日間働いてアルバイト料をもらうことになりました。
その日の朝…母が言いました。
「生まれて初めて働いてもらったお金というものは、そこまで育ててもらった親に感謝する意味で何か買って贈るのが、人としてよい行いだと思うよ。…ちなみにお母ちゃんはいま、この腕時計のベルトが切れているのでベルトがほしい。お父ちゃんにはネクタイでも一本、買っておけば気持ちは通じると思う。どんなのにするかはあんたにまかす」

……( ̄∀ ̄)

それで初めてもらったお給料は、母の腕時計のベルト、父のネクタイ、不二家ホームパイロルカの詩集を一冊買って、なくなったのでした…

あれから幾年月…。ロルカにもう一度会えました。

 もし私が死んだら、
 バルコニーは開けたままにしておいておくれ。

 子どもがオレンジの実を食べる。
 (バルコニーから、わたしはそれを見る。)

 刈り取り人が小麦を刈る。
 (バルコニーから、私はその音を聞く。)

 わたしが死んだら
 バルコニーは開けたままにしておいておくれ!


2011年12月20日(火) 07時09分10秒
ロッコ
【「カスバの女」デビュー inモロッコ
スペインの最南端からジブラルタル海峡を渡って、モロッコに来ました!
タンジェのメディナ(旧市街地)、カスバの近くに泊まっています。

…カスバと言えば…

♪涙じゃないのよ 浮気な雨に
ちょぴりこの頬 ぬらしただけさ
ここは地の果て…

 …とここまで合唱し、2人、顔を見合わせて

アルジェリア…???

「あれ? …カスバってモロッコにあるんじゃなかったの?」
(///∇//)

(※カスバはアラビア語で城砦の意味、アルジェリア、モロッコの旧都市のあちこちにあります。「カスバの女」はアルジェリア独立戦争のとき、フランスから流れてきた女性の悲恋を唄ったもの…)


…今日も、長い一日でした…
グラナダのバスターミナル(ちなみに「駅」は英語がステーションで、フランス語がスタシオン、イタリア語ではスタシオーネで、スペイン語エスタシオン…みんな違ってみんな似ている…)
…を朝の9時に出て、マラガで乗り換え、スペイン南端タリファへ。向こう岸にはもうアフリカ大陸が見えています。ここからフェリー。フェリーに乗るときにスペイン出国で、船のなかでモロッコ入国のハンコをパスポートに押してもらいます。これを忘れると密入国になるので要注意だそうです。
フェリー乗船時間は45分間なので、せわしなくて、

「は〜るばる 来たぜ アフリカ〜!」

……とのんきに唄っているヒマはまったく、ありませんでした…


宿泊しているのは建設当初(1888年)はタンジェで最も高級で超豪華だったと言われ、映画の撮影にも使われたことがある「ホテルコンチネンタル」…。
現在はかなりボロボロですが、コロニアル様式というのか、フランス統治下時代の伝統と格式あるホテルスタイルがちょっと時代錯誤的で、素敵、初体験です…

明日は丸一日、寝ようと思っています…。