朝日社説を切る○ 『マスメディアの目的をはき違えていないか。』『国民の厳しい視線が注がれていることを自覚すべきだ。』


朝日社説を切る
2日付朝日社説。「17年振りの消費税増税 目的を見失ってはならぬ」というが、中身は支離滅裂で国民に我慢を強いるもの。「8兆円余り。史上、例のない大型増税で家計への負担は大きい。」と庶民の生活を気遣う素振りを見せながら、「それでも、消費増税はやむをえないと考える。」「借金漬けの財政を少しでも改善し、社会保障を持続可能なものにすることは、待ったなしの課題だからだ。」と。
かつての“社会保障と税の一体改革”は消え去り、社会保障の後退が目立つばかりか国債乱発とともに新成長戦略の財源にすらされている。社説は、借金漬け予算の「最大の原因は、高齢化に伴う社会保障費の伸びだ。」と国民に負担を押し付ける。かくも貧困と格差の拡大社会に落ち込んだ今、これ以上の「負担」を強いるのが巨大メディアのすることか。
そこで、「数多い税金のうち、なぜ消費税なのか。」と弁解を試みるが、これが大企業特別優遇や弱者いじめの消費税の本質を想起させるものばかり。賃金が増えないなか、子育てや教育、住宅など多くの負担を抱える『現役の苦悩』に“理解”を示して、消費増税を「国民が幅広く負担し、税収も安定し…社会保障の財源にもっともふさわしい。」と描き出す。
法人税減額とほぼ同じ水準になっている消費税総額の歴史、巨額の“輸出戻し税”などはとても「国民が幅広く」とは言えない。さらに消費税の滞納比率が国税全体の半分を占め最大でもある状況でとても「税収も安定し…」とは言えない。これでなぜ「社会保障の財源に最もふさわしい」のか。これでは『何が何でも消費増税』の政財界の水先案内人に成り下がったメディアの堕落を満天下に示すだけである。
 また、「5兆円の経済対策」について、「220兆円も内部留保を抱えこんで収益が上向いても使おうとしない」大企業に「なぜ、法人税の減税なのか。」と指摘はする。しかしこれも、「賃金や雇用、投資を増やした企業の税負担を軽くする手だてに集中すべき…」などと説いては、『賃上げの見返り』の如くの姑息な提起でしかない。
 “公共事業”については、「バブル崩壊後、毎年のように補正予算を組んで財政を悪化させてきた愚を繰り返すのか。」と疑問を投げかける。ならば、借金漬け財政の最大の原因を「高齢化に伴う社会保障の伸びだ。」との前記の断定は止めるべきだろう。
 そして、この税は事業者にとっては“預り金”だとして『益税』対策の徹底をも迫る。消費税は、消費者にとっては物価の一部としての負担はしていても、税金として事業者に託したものでないことは1990年の東京地裁判決で明確になっているし、大部分の事業者が『納税義務者』になった2004年の免税点引き下げ以降はあまり“論点”にすらなっていない。
消費税は消費者に税負担を錯覚させ、事業者には赤字でも納入義務を負わす『直接税』そのものであり、応能負担という税本来の原則を投げ捨て、国が介在して弱者から無法にも取り立て大企業に回すというトンでもない悪税である。

社説は、大半の世論が反対している4月増税を、世論への“理解”を示しつつしゃにむに押し通そうとするため、事実に敢えて蓋をし、自己矛盾の論を展開している。権力に迎合しその意向のお先棒を担いでいることに、『マスメディアの目的をはき違えていないか。』と『国民の厳しい視線が注がれていることを自覚すべきだ。』