米軍基地は減っている

ジャーナリストの伊藤千尋さんがFB憲法9条の会に投稿されたコメントを紹介します。

今日、12月4日、日米の政府は沖縄の米軍基地2か所を2017年度中に返還することを発表しました。と言っても、両方合わせても7ヘクタールにすぎません。それを官房長官と駐日大使が大々的に発表したのは、辺野古での批判をいささかでもかわそうとしたのでしょう。
 ただ、ここで知ってほしいのは、日本における米軍基地が次第に減ってきているという事実です。なぜって、いらないからです。今の時代、もはや大それた基地は不要なのです。
 数字を見てみましょう。戦後まもない1952年に日本にあった米軍専用の基地は2,824施設、面積にして1,352平方キロメートルでした。それが沖縄返還の翌年の1973年には165施設、446平方キロに激減しました。施設数で15分の1、面積で3分の1になったのです。さらに1990年には105施設、325平方キロとなり、2015年の現在は82施設、306平方キロです。沖縄返還の直後と比べても施設数で半分、面積で4分の3です。
 もちろん、その分、自衛隊が増強され、自衛隊の基地を米軍が共用する部分が増えました。が、日本の国土の中に米国が治外法権を持つ「外国軍基地」はこのように減っているのです。
 日本だけではありません。世界における米軍基地が減っています。隣の韓国でもかつて34か所あった米軍基地が2011年までに17か所に半減し、面積は3分の1になっています。日本と同じく米国の敵だったドイツにはかつて米軍7万人が駐留していましたが、昨年までに半分以下に減りました。
 いや、世界を見るまでもなく、そもそも米国で基地がどんどん減っています。僕が朝日新聞アメリカ特派員をしていたとき、新聞によく「昨日、〇〇州の〇〇陸軍基地が市に返還され、大学のキャンパスになった」とか「博物館の用地になった」という記事がかなり頻繁に載っていました。
 サンフランシスコの海辺にフィッシャーマンズ・ワーフという観光地があります。観光でいった方は、たぶん、ここの屋台で海産物を食べたでしょう。すぐそばにフォート・メイソンという地区があります。ここはかつて200年にわたるアメリカ陸軍最大の基地でした。第2次大戦のさい日本軍と戦うために150万人を超える米軍兵士がここから船に乗って戦地に赴いたのです。
 1972年、沖縄が日本に返還された年、この基地がサンフランシスコ市に返還されました。もう、いらないからです。市は基地跡をどう使うかの案を市民に募りました。寄せられた400件から選ばれたのが「文化、市民活動のセンターにしよう」という案です。「フォート・メイソン・センター」として1977年に正式に発足しました。国家の戦争の基地が、市民の文化の基地に生まれ変わったのです。
 僕がここを最初に訪問したのは今から20年前の1995年でした。かつての武器庫が教室やギャラリーになっていました。戦車や食糧を収容していた倉庫が劇場に変わり、週末にコンサートや演劇が催されていました。市民のオーケストラや演劇団体は安く借りられるため、活動がしやすくなりました。市民も安く芸術を楽しんでいます。
 軍人の執務室があったレンガ立ての建物の廊下には「子どものための芸術センター」「世界動物基金」など市民団体の看板が並びます(写真)。センターを利用する市民団体は600を数え、うち50団体がここに事務所を持っていました。大きな部屋が2〜3室あって、家賃が月に1万7千円という安さです。一般の市民も施設を格安で利用できます。教室での講座に使うなら1時間で2,000円です。
 センターを運営するのは市民団体です。当初は市が管理したのですが、「市は融通が利かない。市民がやった方が効果的だ」という声が上がり、8人の理事からなるNPOを創って運営に当たりました。
 これって、いいなって、思いませんか?