藤沢周平の作品と人物に触れて… その2

KokusaiTourist2008-03-30


 いま、藤沢周平とその作品が“志たかく情あつい”歴史・時代作家、作品として新たな注目が集まっています。そうした作品を産み出してきた彼自身のことばを聞けば改めてそのいまの評価と注目が理解できます。いくつかを紹介します。出典は、彼のエッセイ集“ふるさとへ廻る六部は”です。

『ふるさとへ廻る六部(巡礼)は気の弱り』 山形出身の藤沢周平が初めて青森、秋田、岩手へ旅した時の自作の川柳

 およそ10年後の昭和24年の春に、私は生まれた村と山ひとつへだてたところにある温泉のある村に、教師として赴任した。念願の村の子供の先生になったのである。背広というものを持たず、詰め襟の学生服を着て、自転車で生家から学校まで通った。 

 衣食住すべてが貧しかった時代だが、世の中には長い戦争をくぐり抜けたあとの明るく自由な空気が行きわたり、そのころの村には、まだ教師と生徒の間に牧歌的なつながりが生まれる余裕が残っていた。農地改革も村の本質を変えるものではなかった。農村が決定的に変わり始めるのは、やがて機械と農薬が入り込んで来てからである。

 近ごろ郷里に帰るたびに、怪訝な思いに堪えないことがある。快適な暮らしを手に入れるために、われわれはここまで犠牲を払わねばならなかったのかということである。郷里の学校も田園も見たところは平常で、私の心に焼き付けられたむかしの光景をそのままに残している。しかし、田圃は農薬で汚染され、その農薬や生活排水は川に流れ込んで、子供も泳げない川になった。田の間を走る小川にも、もう目高はいない。

 田圃仕事も楽になったという、農家の主婦で苦労した姉の言葉を少しでも疑うことはできないけれども、反面のこの、世界の喪失をどう考えたらいいのだろうか。ここには根本的に考え直さなければならないものがあるように思うのである。

 そして、丘の麓の学校からは、むかしと同じように歌声が流れて来るのだろうけれども、その学校にも、いまはやはり偏差値とか管理主義教育とかいう、本来人間の教育とは相容れない部分を含む思想が入り込んでいるのだろうか。… (「朝日新聞」夕刊 平成元年4月10日)


ツァー予告

藤沢周平の世界
たそがれ清兵衛”、“武士の一分”、“蝉しぐれ” に魅せられて…

初秋の“海坂藩”と蔵王温泉磐梯高原
藤沢周平のふるさと鶴岡とその時代・歴史小説の舞台、庄内、羽黒山、米沢、会津を訪ねます

日  時 * 9月20日(土)〜22日(月)
費  用 * お一人様 約78,000円前後(未定)
           (伊丹空港発着)