藤沢周平の作品と人物に触れて…

KokusaiTourist2008-03-31

その3

 いま、藤沢周平とその作品が“志たかく情あつい”歴史・時代作家、作品として新たな注目が集まっています。そうした作品を産み出してきた彼自身のことばを聞けば改めてそのいまの評価と注目が理解できます。いくつかを紹介します。出典は、彼のエッセイ集“ふるさとへ廻る六部は”です。

『ふるさとへ廻る六部(巡礼)は気の弱り』 山形出身の藤沢周平が初めて青森、秋田、岩手へ旅した時の気持ちを自嘲的に表現した古川柳

私は、老人がむかしを懐かしむのに、誰に遠慮がいるものかと、日ごろ思っている。楽しかった子供のころ、あるいは二枚目で大いにモテた若いころの思いでにひたるのは、老人に許された権利である。少しも恥ずべきことではない。しかし同時に私は、むかしはよかったがいまはつまらないという考えには同調したくない。老人も現実を直視し、認めるべきである。

 たしかに空気は汚れ、食べ物はまずく、人間関係は希薄になったというふうに、少々世界がひん曲がって来た気配は認めざるを得ないが、またいまの世には、むかしにはなかったよさもあるだろう。その全体を、それぞれのやりかたで果敢に受け入れるべきだと私は思っているのである。どっぷりと懐古趣味にひたっている老人とみられるのはごめん蒙りたい。

 中略

 私はいまは鶴岡市の一部である村に生まれた。村の正面には田圃や遠い村々をへだてて月山がそびえ、北の空には鳥海山が見えた。村のそばを川が流れ、川音は時には寝ている夜の枕もとまでひびいてきた。蛍がとび、蛙が鳴き、小流れにはどじょうや鮒がいた。草むらには蛇や蜥蜴も棲んでいた。

 私はそのような村の風物の中で、世界と物のうつくしさと醜さを判別する心を養われ、また、遊びを通して生きるために必要な勇気や用心深さを身につけることが出来た。私はそういう場所から人間として歩みはじめたことを、いまも喜ばずにいられない。

 同時にまた私は、いまの村の子供たちが、むかしの豊かさを失った自然にどんな気持ちを抱いているのか、またどんな遊びを喜んでしているのかを知りたいと、切実に思うことがある。コンクリートで護岸工事を施された泳げない川は、はたして彼らのアイデンティティを支えることが出来るのだろうか。それとも彼らのアイデンティティを支えるのは、一九八〇年代のテレビゲームなのだろうかと。(「教育フロンティア」平成元年第11号)




ツァー予告



藤沢周平の世界
たそがれ清兵衛”、“武士の一分”、“蝉しぐれ” に魅せられて…





初秋の“海坂藩”と蔵王温泉磐梯高原
藤沢周平のふるさと鶴岡とその時代・歴史小説の舞台、庄内、羽黒山、米沢、会津を訪ねます

日  時 * 9月20日(土)〜22日(月)
費  用 * お一人様 約78,000円前後(未定)
           (伊丹空港発着)

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